20世紀日本人名事典 「山元春挙」の解説
山元 春挙
ヤマモト シュンキョ
- 生年
- 明治4年11月24日(1872年)
- 没年
- 昭和8(1933)年7月12日
- 出生地
- 滋賀県大津市勝所町
- 本名
- 山元 金右衛門
- 経歴
- 明治16年頃野村文挙に入門、四条派を学び、18年森寛斎に円山派を学ぶ。19年京都青年絵画研究会で「呉孟」が褒状となって以来各種展覧会で受賞を重ね、27年如雲社委員、29年後素協会と改称すると同時に同じく委員となる。32年京都市美術工芸学校教諭、42年京都市立絵画専門学校創設と共に同校教諭を兼任し、大正6〜13年まで教授を務めた。この間、明治40年文展開設と共に審査員となり、竹内栖鳳と並んで明治後期の京都画壇を代表する画家として活躍。大正6年帝室技芸員、8年帝国美術院会員となった。京都の伝統的写生派に西洋画風を取り入れた独自の画風で、風景画を多く描き、特に雪景を得意とした。代表作に「雪松図」「塩原の奥」など。また明治33年画塾同攻会を主宰し、42年早苗会と改称、多くの後進を指導した。門下に川村曼舟、小村大雲、山本倉丘らがいる。平成11年遺族らが滋賀県立近代美術館に作品23点を寄贈。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報