ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「林清」の意味・わかりやすい解説
林清
りんせい
Lin-Qing; Lin-Ch`ing
[没]嘉慶18(1813)
中国,清朝の天理教の乱の指導者。河北省大興県黄村の巡検衙門の林先の子で,北京の薬屋の店員,城門の夜回り,黄村の書吏などの職を転々とし,嘉慶 11 (1806) 年に栄 (竜) 華会 (のちの八卦教,天理教) に入会し,やがて梁建忠に代って指導的地位に立った。入教者から種福銭を取るとともにこれを貧者に与え,一方では太陽を拝し経語を唱えることで災厄を免れるとして信者を集めた。また荒乱のときに反旗を翻すという主張を行い,指導者の一人李文成と同 18年9月 15日の中秋の日を反乱の日と定めた。林清は一隊を率いて北京宮殿を占拠,同日河南省滑県で李文成が反乱するほか各地で反乱する予定であったが,機密が漏れて李文成が捕えられ,その救出のため反乱を起し,林清も 15日に宮殿に侵入したが2日後に捕えられ,凌遅処死の刑に処された。
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