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天理教の乱 てんりきょうのらん Tian-li-jiao; T`ien-li-chiao

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天理教の乱
てんりきょうのらん
Tian-li-jiao; T`ien-li-chiao

中国,清代中期の嘉慶 18 (1813) 年,白蓮教の一派といわれる宗教結社天理教の教徒が起した農民反乱天理教は初め八卦教,三陽教,栄華会,竜華会などに分れて結社していたが,やがて首都北京に近接する大興県出身の林清と河南省滑県出身の李文成がこれらを統一して天理教とした。

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世界大百科事典 第2版の解説

てんりきょうのらん【天理教の乱】

中国清代,華北に蜂起した天理教徒の乱。天理教は白蓮教,弘陽教を混合した民間宗教であるが,八卦(はつか)の名により教徒を分属組織したことから八卦教ともいう。《三仏応劫書》を経典とし末劫思想を説き,将来される白洋劫には教徒のみが殺戮を免れるとし,銭糧の提供者には土地,官職を約束した。教団内には拳棒を習う武術集団もあり,直隷の書吏出身の林清を天王とし,河南の木工李文成を人王とし,南北呼応して蜂起することを密約,星占いにより1813年(嘉慶18)9月15日に決行することとした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天理教の乱
てんりきょうのらん

中国、清(しん)朝の1813年、華北の直隷、江南両省を中心に起こった宗教結社の反乱。天理教は栄華会、八卦(はっけ)教などともいい、白蓮(びゃくれん)教系とみなされている。中心的指導者は直隷省大興県の林清と河南省滑(かつ)県の李(り)文成で、林清の配下には太監(宦官(かんがん))、王府包衣、雇工など多種の分子を含んでいたが、李文成配下の多くは貧農であった。乱は9月15日午(うま)の刻を期に起こす予定であった。しかし、河南では、李文成らが9月5日に滑県知県に捕らえられるという事件によって7日に蜂起(ほうき)し、滑県城を急襲した。救出された李文成は滑県城で師府を開いたが、清側の攻撃に敗れ、李文成は敗死し、3か月で鎮圧された。一方の林清は予定どおり9月15日に太監の手引きで紫禁城に侵入したが、失敗し、約束の李文成からの援兵もなく、たちまち鎮圧され、林清らは極刑に処せられた。乱は短期間で平定されたが、乱徒が首都で蜂起し、禁中に入った衝撃は大きく、清廷を震駭(しんがい)させた。[石橋崇雄]

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