日本大百科全書(ニッポニカ) 「枚方事件」の意味・わかりやすい解説
枚方事件
ひらかたじけん
1952年(昭和27)6月、大阪府枚方市で兵器生産再開(枚方市の旧陸軍造兵工廠(こうしょう)への小松製作所誘致)に反対して労働者、学生が「集団抵抗」の形で起こした事件。6月24日、一部は工廠内に時限爆弾を仕掛け窓ガラスなどを割った。また翌25日、デモ隊が、工場誘致委員であった運送業小松正義宅の玄関とガレージに火炎ビンを投げ込んで、ふすま、畳、乗用車の一部を焼き、さらにその帰途警官隊と衝突した。65人が爆発物取締罰則違反、放火未遂、公務執行妨害で起訴され、59年11月19日および翌年2月にかけての一審では56人が有罪、64年1月21日の二審判決は三被告減刑のほかは一審を支持、67年9月16日の最高裁では42人の上告を棄却して刑が確定した。
この事件は、吹田(すいた)事件と同じく講和条約発効の1952年、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)2周年の6月24日から25日にかけて起こったもので、被告側は「爆破、放火の意図、事実はなく、国民の抵抗に基づく正当な警告デモ」として全員無罪を主張していた。デモと警察権の限界が争われた点、大量被告を抱えた長期裁判という点で、さらに一審判決が民間工場兵器生産の合憲の見解を示したことでも注目された訴訟であった。
[荒川章二]