柳瀬古墳(読み)やなぜこふん

日本歴史地名大系 「柳瀬古墳」の解説

柳瀬古墳
やなぜこふん

[現在地名]多久市東多久町納所字赤石

両子ふたご山の東北麓、標高三〇メートル余りの所に築成されている。古墳時代中期、五世紀後半頃の築成と推定される。昭和四六年(一九七一)発見され、応急調査が行われた(「多久市天山組合せ箱式石棺墓調査概報」新郷土・昭和四六年六月号)

石棺は、すでに露出していたため、墳丘についてはいっさい明らかでない。石棺の主軸西北から東南の方向をとり、西北の方向へわずかばかり開いている。数個の扁平石を立てて構築されている箱式石棺で、内法は長さ一・九メートル、幅〇・五〇―〇・四二メートル、深さは〇・二八メートル前後で敷石床となっており、丹彩が施されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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