日本歴史地名大系 「栃沢村」の解説 栃沢村とちざわむら 富山県:黒部市栃沢村[現在地名]黒部市栃沢東は金屋新(かなやしん)村、北は飯沢(いいざわ)村。寛永一六年(一六三九)富山藩領、万治三年(一六六〇)から加賀藩領。正保郷帳では高三五石余、田方二町三反余・畑方六畝余、新田高五八〇石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一三八石、免三ツ五歩、小物成は野役二匁(三箇国高物成帳)。享保八年(一七二三)から三度の手上高があり、天保一一年(一八四〇)の草高一四七石余(「高免帳」杉木家文書)。同一三年泊(とまり)町(現朝日町)与三左衛門跡が十二貫野(じゆうにかんの)新開所へ引揚げにつき、野役二匁退転(「御触留帳」伊東家文書)。安政六年(一八五九)の諸商売書上(杉木家文書)では青染・古家等仲買人各一。慶応四年(一八六八)の家数は百姓二二(下新川郡史稿)。 栃沢村とちざわむら 静岡県:静岡市旧安倍郡地区栃沢村[現在地名]静岡市栃沢藁科(わらしな)川上流に位置し、南は坂ノ上(さかのかみ)村。橡沢村とも書く(「駿河志料」など)。領主は坂本(さかもと)村と同じ。元禄郷帳では高一四八石余。旧高旧領取調帳では高一一五石余。「駿河記」では家数三〇。源頼朝に献上された名馬磨墨(摺墨)は当村の産という伝説を残す。子安明神社など七社と曹洞宗龍珠(りゆうしゆ)院がある(駿河記)。聖一国師円爾は当村の米沢氏の出身という(「駿河記」「修訂駿河国新風土記」など)。 栃沢村とちざわむら 静岡県:掛川市栃沢村[現在地名]掛川市初馬(はつま)初馬川の流域にあり、北は倉真(くらみ)村、西から南は初馬村。東の山間にある一村を石上(いしがみ)とよび、かつては満水(たまり)村の民が開墾した飛地であったという(掛川誌稿)。正保郷帳に村名がみえ、田方六八石余・畑方三七石余、掛川藩領(幕末に至る)。文政一二年(一八二九)の御高等書留によると高一〇五石余、毛付高九四石余の納辻米一三九俵余・大豆一一俵余、家数二二(本家二〇・柄在家二)・人数一〇二、馬五。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by