栖吉城跡(読み)すよしじようあと

日本歴史地名大系 「栖吉城跡」の解説

栖吉城跡
すよしじようあと

[現在地名]長岡市栖吉町 出来坊

栖吉集落東のじよう(三二八メートル)にある。東西五〇メートル、南北三〇メートル。中心の実城は東・南・西に堀をめぐらす。実城の東方に古城とよばれる詰の郭を配置する。越後初代の守護代長尾弾正左衛門尉景恒の子景春を祖とする古志長尾氏の本拠。景春は蔵王堂豊前守と称し、当初は大島おおじま庄内蔵王ざおう堂に本拠を置いたようである。しかし明応七年(一四九八)と推定される五月二八日付長尾能景書状案(上杉家文書)によると、当時の古志長尾氏の当主長尾小法師丸(房景)若輩の故をもって大島庄内の権限を古志長尾氏から外すことを求めているので、この事柄にかかわって本拠を栖吉に移したと考えられている。なお同年五月一三日付上杉家(房能)老臣連書奉書(同文書)には、長尾小法師丸に対して「三ケ条沙汰出来時、郡司速可致其成敗」を命じているので、郡司としての古志長尾氏には守護の公権を代行する役割が与えられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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