栗須七郎(読み)クリス シチロウ

20世紀日本人名事典 「栗須七郎」の解説

栗須 七郎
クリス シチロウ

大正・昭和期の部落解放運動全国水平社中央委員。



生年
明治15(1882)年2月17日

没年
昭和25(1950)年1月21日

出生地
和歌山県東牟婁郡本宮村(現・本宮町)

経歴
小学校代用教員を経て上京し、19歳で逓信省に入る。日露戦争看護兵として出征し金鵄勲章を受ける。被差別運動とたたかい、大正11年全国水平社結成と同時に中央委員となり、部落解放運動の先駆者として活躍した。その思想と禁欲的行動から“水平の行者”の異名をとる。大阪無産大衆党員。著書に「水平審判の日」「水平宣言」「水平の行者」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「栗須七郎」の解説

栗須七郎

没年:昭和25.1.21(1950)
生年:明治15.2.17(1882)
大正昭和期の水平社運動家。和歌山県東牟婁郡東宮村(本宮町)生まれ。16歳で上京し通信書記補となる。看護手として日露戦争に従軍して負傷。日本医学校中退,帰郷し,大正4(1915)年村役場の差別事件を糾弾した。豊橋製糸工場で労働運動をし追放となる。大正11年,全国水平社(全水)創立に感動,県下を行脚し宣伝する。同年7月,大阪市西浜に転居,自宅で西浜・府水平社本部を創立,北井庄一,石田正治らと機関紙『水平線』を刊行。13年,和歌山の田淵代議士差別事件などで入獄,その思想(天皇主義,親鸞信仰にもとづく水平思想)と禁欲的行動から「水平の行者」といわれた。その後,全水左派に接近したが没入せず,合法無産政党や労働組合の顧問を務め,地元有産者や団体とは対立的関係にあった。<著作>『水平道』『水平審判の日』

(秋定嘉和)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗須七郎」の解説

栗須七郎 くりす-しちろう

1882-1950 大正-昭和時代の部落解放運動家。
明治15年2月17日生まれ。小学校代用教員をへて逓信省の職員となる。日露戦争に看護兵として従軍。大正4年差別事件をおこした故郷和歌山県の村長辞任においこむ。11年全国水平社の創立に参加,中央委員をつとめた。昭和25年1月21日死去。67歳。自伝に「水平の行者」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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