根森村(読み)ねもりむら

日本歴史地名大系 「根森村」の解説

根森村
ねもりむら

[現在地名]松前郡松前町字大沢おおさわ

近世から明治二年(一八六九)まで存続した村。近世は東在城下付大沢村の支郷で、同村の西方にある。享保十二年所附は同村の直前に根森をあげる。根盛村(蝦夷草紙別録)、根守村(谷「蝦夷紀行」)などとも記された。天保郷帳では根森村とみえる。

成立の時期など不詳。延享四年(一七四七)創立の稲荷神社があることから(函館支庁管内町村誌)、この頃には居住が始まっていたとみられる。文化六年(一八〇九)の村鑑下組帳(松前町蔵)によると、上納は根森・大沢・荒谷あらや炭焼沢すみやきざわ四村で春山薪二敷であった。


根森村
ねもりむら

[現在地名]二戸市上斗米かみとまい

金田一きんたいち川の上流に位置。野月平のつきたえに根森館跡がある。館主は不明。チャルス台ともよばれるが、これをチャシの転訛したものとする説もある。元禄十郡郷帳では当村は本田ほんだ村へ入るとある。元文四年(一七三九)の福岡通絵図(盛岡市中央公民館蔵)では給所高五六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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