根津一(読み)ネヅ ハジメ

20世紀日本人名事典 「根津一」の解説

根津 一
ネヅ ハジメ

明治〜昭和期の陸軍少佐 東亜同文書院初代院長



生年
万延1年5月2日(1860年)

没年
昭和2(1927)年2月18日

出生地
甲斐国東山梨郡日川村(山梨県)

別名
号=山洲

学歴〔年〕
陸士(旧4期)〔明治16年〕卒,陸大中退

経歴
砲兵少尉で広島鎮台砲兵隊付となり、明治18年陸大に入ったが、ドイツ人教官メッケルと衝突して退学。20年参謀本部付となり、支那課に勤務。荒尾精と日清貿易研究所設立を図り、23年上海に設立。「清国通商総覧」を編纂刊行。27年上海で諜報活動に従事中、日清戦争がおこり、第2軍参謀として金州、旅順攻撃に参加、少佐に昇進。その後予備役となり、31年近衛篤麿の設立した東亜同文会に参加、34年東亜同文書院初代院長に就任、多くの大陸浪人を養成した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「根津一」の解説

根津一 ねづ-はじめ

1860-1927 明治-大正時代軍人,中国研究家。
万延元年5月2日生まれ。上海で荒尾精の日清(にっしん)貿易研究所の経営に参加し,「清国商業総覧」の刊行に尽力。日清戦争には第二軍司令部付員外参謀官として従軍。陸軍少佐。明治36年上海の東亜同文書院の院長となり,おおくの中国通をそだてた。昭和2年2月18日死去。68歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。陸軍士官学校卒。号は山洲。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「根津一」の解説

根津 一 (ねづ はじめ)

生年月日:1860年5月2日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。少佐;東亜同文書院長
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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