日本歴史地名大系 「桂昌寺」の解説 桂昌寺けいしようじ 群馬県:勢多郡北橘村真壁村桂昌寺[現在地名]北橘村真壁 寄居城(じよう)山山麓にある。曹洞宗、もと龍伝(りゆうでん)寺(渋川市半田)末。長盛山と号し本尊釈迦如来。享保一二年(一七二七)鋳造の鐘銘(第二次世界大戦中供出され現在はない)に「蓋最初律院也」とあり、伝えによるとかつて律宗の水泉(すいせん)寺という寺があり、中世衰微したが、天正一〇年(一五八二)真壁(まかべ)城主神谷三河守が龍伝寺二世の祐益を招いて当地に移建、禅宗に改宗したという(鐘銘)。 桂昌寺けいしようじ 山口県:阿武郡阿武町惣郷村桂昌寺[現在地名]阿武町大字惣郷神宮(しんぐう)山の北麓、寺尾(てらお)にあり、少林山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。もと大津(おおつ)郡深川板持(ふかわいたもち)(現長門市)にあって耕雲(こううん)庵と称した(注進案)。寺伝によれば寛文年中(一六六一―七三)惣郷(そうごう)村の知行主である萩藩寄組の児玉広恒が、父元恒の菩提を弔うため当地に移し、その法号桂昌寺殿にちなんで改称したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by