新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「桜井忠興」の解説 桜井 忠興サクライ タダオキ 肩書貴院議員 生年月日弘化5年1月8日(1848年) 経歴尼崎藩主桜井忠栄の第7子として生まれ、文久元年襲封。同年7月禁門の変に西宮を守衛、慶応元年幕府の長州再征に進んで従軍を請い、3年11月諸侯会同の朝命に応じて上京した。明治2年版籍奉還により尼崎藩知事となる。のち大和の大神神社の宮司となったが、西南戦争に際し日本赤十字社の前身博愛社の創立に尽力。自邸を同社に寄付し、自ら長崎に仮病院を設けて負傷者の救援に当った。17年子爵、23年貴院議員となるがまもなく辞任した。 没年月日明治28年4月29日 家族父=桜井 忠栄(尼崎藩主) 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桜井忠興」の解説 桜井忠興 さくらい-ただおき 1848-1895 幕末-明治時代の大名,華族。弘化(こうか)5年1月8日生まれ。松平忠栄(ただなか)の7男。文久元年14歳で摂津尼崎(あまがさき)藩(兵庫県)藩主松平(桜井)家7代となる。慶応4年桜井に改姓。西南戦争に際し,佐野常民らとともに博愛社(日本赤十字社の前身)の創立に尽力。子爵。貴族院議員。明治28年4月29日死去。48歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by