大神神社(読み)おおみわじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「大神神社」の意味・読み・例文・類語

おおみわ‐じんじゃ おほみわ‥【大神神社】

奈良県桜井市三輪にある神社。旧官幣大社。祭神は大物主(おおものぬし)大神、大己貴(おおなむち)神、少彦名(すくなびこな)神。記紀にもみえる日本最古の神社の一つ。三輪(三諸(みもろ))山を神体としており本殿を持たない。拝殿の背後、神域との境に三輪鳥居と呼ばれる特異な鳥居がある。大和国一の宮。おおうわ。おおみわ。三輪明神。大神大物主神社(おおみわおおものぬしのかみのやしろ)。杉御社(すぎのみやしろ)

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デジタル大辞泉 「大神神社」の意味・読み・例文・類語

おおみわ‐じんじゃ〔おほみわ‐〕【大神神社】

奈良県桜井市三輪町にある神社。旧官幣大社。祭神は大己貴神おおなむちのかみ和魂にきみたまである大物主神おおものぬしのかみ三輪山が神体で、山麓に拝殿があるが、本殿はない。古くから酒の神とされ、酒造家が信仰する。大和国一の宮。三輪明神。三輪神社

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日本歴史地名大系 「大神神社」の解説

大神神社
おおみわじんじや

[現在地名]桜井市大字三輪

三輪みわ(御諸山)西麓に鎮座し、三輪明神とも称する。旧官幣大社。もとは西方かみ街道に面して一の鳥居があった。神体山三輪山を拝する原始信仰から出発したとされ、拝殿・神門(三つ鳥居)のみで神殿をもたず、山を含めた境内には古杉が茂り、多数の摂社・末社がある。大神神社境内として国指定史跡。参道脇を古く馬場ばば村という。わが国最古の神社とされ、古代より朝野の尊崇厚く、平安時代には二十二社の一として大和国一宮となった。「延喜式」神名帳にみえる城上しきじよう郡「大神大物主神社名神大、月次相嘗新嘗」にあたり、現在、倭大物主櫛やまとおおものぬしくしみかたま命を祭神とし、大己貴おおなむち神・少彦名すくなひこな神を配祀。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔草創神話と三輪氏〕

「古事記」神代巻には、大国主おおくにぬし神がともに国土を作る神として、海を照らして依り来る神を倭の青垣の東山御諸山の上に斎き祀ったとみえ、「延喜式」祝詞の出雲国造神賀詞には大己貴命の和魂を八咫の鏡に取付けて、倭の大物主櫛玉命として大御和の神奈備に鎮祭し、皇宮の近き守りとなしたとある。「日本書紀」神代上は大己貴神の幸魂・奇魂が大三輪の神で「日本国の三諸山(三輪山)に住まむと欲ふ」と記す。同書によれば、崇神天皇五年国内に疫病が蔓延し、同七年一一月大物主神の子大田田根子おおたたねこを祭主として初めて大神を祀らせたところ国中の災害がやんだといい、国家危急の救済神として以後大きな位置を占めたと考えられる。翌八年四月には高橋邑の活日を大神の掌酒としたという(同書)。祭主大田田根子命は大神の神孫とする系譜から三輪山付近を本拠とした古代豪族三輪(神・大三輪・大神)氏の祖とされ、当社は三輪氏が氏社として永く奉斎してきた。三輪氏は当時天皇家に比する勢力をもっていたと推定され、奈良・平安時代に全国的に分布していた(「続日本紀」「三代実録」「延喜式」など)

〔神婚説話〕

大神の神の特殊性として種々の神婚説話がある。神武天皇皇妃比売多多良伊須気余理比売ひめたたらいすけよりひめや大田田根子命などは大物主神の神婚による出自とされ、孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲姫やまとととひももそひめ命も大物主神の妻となったが、神の本体が小蛇に化して出現したことに驚き叫んだので、神は恥じて三輪山に入り、姫は悔んで自殺している(古事記、日本書紀)。この婚姻は天皇家と三輪地方との関係をうかがわせ、また雄略天皇少子部連ちいさこべのむらじすがるに三輪山の神を捕らえさせた時、山で捕らえた大蛇が雷のように輝いたので、天皇は恐れて殿中に隠れ、大蛇を山に放たしめたという伝承からも(「日本書紀」雄略天皇七年条)、天皇家と対等な神であったことがわかる。

大神神社
おおみわじんじや

[現在地名]栃木市惣社町

祭神は大国主命、旧県社。「延喜式」神名帳に記す都賀つが郡三座のうちの「大神オホムワノ社」とされる。「三代実録」元慶四年(八八〇)八月二九日条に「授下野国従五位下三和神正五位上」とあるのを当社とする説がある。境内一帯を室八島むろのやしまということから当社を室八島明神とも、ほかに惣社そうじや大明神などとも称する。また当社を下野国の惣社室六所むろのろくしよ神社とする説があり、社伝もその旨を伝え、保元・平治の頃、社殿は壮麗を極めたという。「義経記」には挙兵した源頼朝に合流しようと急ぐ義経の行路として「室の八嶋」がみえる。現日光市の清瀧せいりゆう寺所蔵の大般若経奥書に、治承二年(一一七八)六月二一日野州惣社でこれを書写したとある。

大神神社
おおみわじんじや

[現在地名]上石津町宮 街道

牧田まきだ川左岸に鎮座。社叢は県指定天然記念物。祭神は大物主櫛甕玉命、相殿は神倭磐余彦天皇・比売多々良五十鈴比売命。旧郷社。「延喜式」神名帳に記載の多藝たぎ郡四座(並小)の一つ「大神オホムワノ神社」は当社に比定される。なお「和名抄」記載の石津いしづ大庭おおにわ郷を、「於保无波」と訓じ、「おおむわ」「おおみわ」から転じたものとし、同郷を当社鎮座の多良たら一帯に比定する説がある(濃飛両国通史)

大神神社
おおみわじんじや

[現在地名]月ヶ瀬村大字月瀬

小字下谷しもだにに鎮座。祭神は月読つきよみ命・品陀別ほんだわけ命。現桜井市三輪みわの大神神社を勧請したと伝える。社殿は月ヶ瀬村だけ八柱やはしら神社や、同村桃香野ももがのの八幡神社と同様石造の小祠で、様式的には室町頃とみられる。「大和志」に「月瀬村坐神祠」として「石灯楼二基、一曰延徳二年建、一曰天文六年造」と記すが、延徳三年(一四九一)の石灯籠が社前にある。なお月ヶ瀬梅林(国指定名勝)起源地と伝えられる月ヶ瀬村尾山おやまの天神の森にあった天神社は、明治一七年(一八八四)当社境内に移された。

大神神社
おおがじんじや

[現在地名]岡山市四御神 土師の森

四御神しのごぜの字土師の森はじのもりにあり、旧郷社。祭神は大物主神・大穴牟遅神・少毘古那神・三穂津姫神の四神で、「延喜式」神名帳に記載される「大神オホムワノ神社四座」に比定される。「吉備温故秘録」では祭神は布波能母遅久須奴神・深淵之水夜礼花神・淤美豆奴神・天之冬依神の四柱で、末社は若宮二社・弁才天・松尾御崎・稲荷。社伝の説によれば、当初は五町ばかり、北東の松山まつやまという所に、伊勢国鳥羽より遷宮、その後神妙の事があり、現在地へ移転したという。

大神神社
おおみわじんじや

[現在地名]桜井市大字粟殿

粟殿おうどの集落中央に鎮座。祭神は大物主おおものぬし命・天児屋根あめのこやね命・金山彦かなやまひこ命。旧村社。延宝六年(一六七八)の石灯籠にも「大神社」と刻し、三輪みわ山の大神神社(現桜井市)祭神を勧請したという。

大神神社
みわじんじや

[現在地名]北条町土下

野本のもと山に鎮座。祭神は大物主神。創建年代は不詳。かつて当社に奉仕したといわれる御船家に伝わる棟札(北条町誌)に「永禄五、壬戌九月十五日、官社三輪大明神葺替」とみえる。もとの社地は下神しもつわ村の三輪みわ山麓にあったが、宝暦三年(一七五三)火災にあい神体を除く社殿、諸記録の一切を失ったのを機に野本山に移ったという(県神社誌)

大神神社
おおみわじんじや

[現在地名]一宮市大和町宮地花池

「延喜式」神名帳所載の中島郡三〇座の一社で「大神オホムワノ々社名神大」とある。「尾張志」には「今は三明神と申す、この神社の地なるが故に宮地といへるなるべし、古き郷名は和名抄に中島郡美和と見えたり、是式内の神にて本国帳に従一位大神名神と記せり、天火明命十世大美和都禰命を祀れるか、是尾張氏同祖の神也」と記す。

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改訂新版 世界大百科事典 「大神神社」の意味・わかりやすい解説

大神神社 (おおみわじんじゃ)

奈良県桜井市三輪に鎮座。大物主(おおものぬし)神をまつる。大和国の一宮。旧官幣大社。三輪神社,三輪明神ともいう。歴史的には,最も古式の信仰形態をとどめる神社として有名。すなわち,大和盆地の南東に麗姿を示す三輪山を神体とし,これを遥拝する。祭神は,《古事記》には〈意富美和(おほみわ)之大神〉,《日本書紀》では〈大物主大神〉とされる。この神は,《古事記》神武段では三嶋湟咋(みしまみぞくい)の娘の勢夜陀多良(せやだたら)との,同崇神段では陶津耳(すえつみみ)の娘の活玉依毘売(いくたまよりびめ)との神婚説話を伝えている。神社の起源は,記・紀ともに,崇神天皇のとき疫病がはびこった際に,大物主神の子の大田田根子(おおたたねこ)に命じてまつらせたのに始まるとする。大田田根子は,この神の祭祀に当たった三輪君氏に始祖とされた。こうした所伝をもつ大神神社には,その近辺に前期古墳を伴い,中でも南方の茶臼山古墳,西方の箸墓(はしばか)古墳,北方の崇神天皇陵などが有名である。さらに,出雲国造が奏上した神賀詞(かむよごと)では,〈大穴持(おおなもち)命〉の和魂(にぎみたま)の〈大物主櫛𤭖玉(おおものぬしのくしみかたま)命〉を献上して三輪山に鎮座させた,と述べている。

 大神神社は,律令制下においても朝廷から厚遇され,神戸を与えられ,しばしば奉幣をうけた。とくに奈良時代中期からそれが目だち,737年(天平9)いらいたびたび奉幣をうけ,765年(天平神護1)には神戸160戸が与えられ,850年(嘉祥3)に神階の正三位をうけたあと859年(貞観1)には正一位を授けられた。延喜の制では,名神大社の一つとされ,22社のうち第9位として祈年・月次(つきなみ)・相嘗・新嘗祭に案上の官幣ならびに祈雨の幣にあずかることと定められた。中世以降,神仏習合によって両部神道系の三輪神道が成立すると,密教系の教義と行法によって人々の信仰をあつめ,近世江戸時代には,朱印地60石のほか百数十石の社領を所有した。この間,大神神社の神木杉を清浄とみる禁忌や大物主神を造酒神としたり味酒(うまざけ)が〈みわ〉の枕詞であるところから,とくに造酒家の信仰を集めた。それとともに,神木杉の葉の玉が造酒家の標示としてひろまったが,これに現世利益を信仰する農民・商工民の信者を加えて,今日に及んでいる。

 神社の形態もしだいにととのったが,大神神社では神殿がなく,神体の三輪山と拝殿との間に三輪鳥居(普通の鳥居の左右に小鳥居を付けた独特の様式)をおくのを特色としている。例祭は,平安時代いらい4月上卯(3卯のときは中卯)とされてきたが,近代には4月9日となった。ほかに,繞道祭(1月1日),御田植祭(2月6日),鎮花祭(4月18日)などの特殊神事がある。摂社には,狭井坐大神荒魂神社,玉列神社,神坐日向神社,率川(いさかわ)坐大神御子神社などの式内社のほか,檜原(ひばら)神社,高宮神社,磐座(いわくら)神社,大直禰子神社,活日(いくひ)神社,綱越神社,神御前神社などがある。
三輪山伝説
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大神神社」の意味・わかりやすい解説

大神神社
おおみわじんじゃ

奈良県桜井市三輪(みわ)町に鎮座。祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)(また倭大物主櫛玉命(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと))、配祀(はいし)は大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)。神話によれば、少彦名神が常世(とこよ)の国に去ったあと、独力で国造りをしていた大己貴神の前に、国造りをともにするため海上より出現した大物主大神(大己貴神の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)ともいう)を、その意志によって御諸山(みもろやま)(三輪山)に祀(まつ)ったのが起源であるという。三輪山を神体山とし、太古以来本殿はない。山麓(さんろく)に拝殿(国の重要文化財)があり、その奥に三輪鳥居(国の重要文化財)が立つ。『延喜式(えんぎしき)』では名神(みょうじん)大社、大和(やまと)国一宮(いちのみや)、明治の官制では官幣大社。例祭は4月9日。ほかに、元旦に神火を松明(たいまつ)に移して参詣(さんけい)者に分かつ繞道祭(にょうどうさい)(御神火祭)、2月6日の御田植祭(おんださい)、薬草を供える4月18日の鎮花祭(はなしずめのまつり)、印(しるし)の杉玉を酒造家に授ける11月14日の酒まつり、摂社率川(いさがわ)神社(奈良市本子守(ほんこもり)町)の6月17日の三枝祭(さいくさのまつり)(百合(ゆり)祭)などが有名。なお、神宮寺であり中世以降三輪神道を発達させた大御輪寺(だいごりんじ)と平等寺は、明治初年に廃され、大御輪寺の本堂は摂社大直禰子(おおたたねこ)神社(本社境内)の本殿(重要文化財)に転用、その本尊十一面観音立像は聖林寺(しょうりんじ)(桜井市下(しも))に移された。拝殿の前を南北に通る古道は、いわゆる「山辺(やまのべ)の道」である。

[谷 省吾]

『『大神神社史』(1975・大神神社社務所)』


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百科事典マイペディア 「大神神社」の意味・わかりやすい解説

大神神社【おおみわじんじゃ】

奈良県桜井市三輪に鎮座。旧官幣大社。祭神ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト(大物主神の別名)は大国主神の和魂(にぎみたま)とされ,そのしずまる三輪山(御諸(みもろ)山,三室山)を神体とする(三輪山伝説)。拝殿と三輪鳥居だけの社殿で,神社の最も古い形を示しており,諸社中最高の地位を占めてきた。延喜式内の名神大社,大和国一宮。中世以降,神仏習合により三輪神道が成立している。全国三輪社の源で,造酒,医薬の神として信仰される。例祭4月9日。繞道(にょうどう)祭(1月1日),御田植(おんだ)祭(2月6日)。摂社率川(いさかわ)神社の三枝(さいぐさ)祭(6月17日)は有名。
→関連項目桜井[市]聖林寺鎮花祭火祭三輪三輪そうめん三輪山大和青垣国定公園

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大神神社」の解説

大神神社
おおみわじんじゃ

三輪明神とも。「延喜式」では大神大物主神社。奈良県桜井市三輪に鎮座。式内社・大和国一宮。二十二社中社。旧官幣大社。祭神は倭大物主櫛𤭖玉(やまとおおものぬしくしみかたま)命・大己貴(おおなむち)命・少彦名(すくなひこな)神。記紀によれば,崇神(すじん)天皇のとき,夢枕により大田田根子(たねこ)を神主としてこの神を祭り,疫病を鎮めたという。三輪山を神体とし,神殿を設けていないことで知られる。古くから朝廷に信仰され,859年(貞観元)正一位。例祭は4月9日。1664年(寛文4)徳川綱吉により造営された拝殿は重文。鳥居は明神鳥居の左右に小さな鳥居をつけたもので,三輪鳥居とよばれる。神祇令に規定される鎮花祭は,当社と狭井(さい)神社の祭祀。境内は国史跡。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大神神社」の意味・わかりやすい解説

大神神社
おおみわじんじゃ

奈良県桜井市三輪山に鎮座する元官幣大社。すぎのみやしろ,三輪明神ともいう。祭神はオオモノヌシノオオカミ,スクナヒコナノカミ。日本最古の創建といわれ,三輪山を神体とする。拝殿のみで神殿をもたず,上代の信仰の形をよく伝えている。中世には三輪流神道が生れた。また酒神として酒造家の信奉が厚い。大和国一の宮。例祭4月9日,10月 24日。

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デジタル大辞泉プラス 「大神神社」の解説

大神(おおみわ)神社〔奈良県〕

奈良県桜井市にある神社。延喜式内社。三輪山そのものを神体とするため、山麓に拝殿はあるが本殿はない。三ツ鳥居(重文)を通して三輪山を拝する。祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)。境内は国の史跡。大和国一之宮。「三輪明神」ともいう。

大神(おおみわ)神社〔愛知県〕

愛知県一宮市にある神社。延喜式内社。尾張国一之宮。

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事典 日本の地域遺産 「大神神社」の解説

大神神社

(岐阜県大垣市上石津町宮194-1)
大垣市景観遺産」指定の地域遺産。
「延喜式神明帳」に記載されている歴史が古く社格の高い神社。大神神社の社叢は県指定天然記念物

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旺文社日本史事典 三訂版 「大神神社」の解説

大神神社
おおみわじんじゃ

奈良県桜井市三輪にある神社。祭神は大物主 (おおものぬし) 神
大三輪社ともいう。三輪山に対する原始信仰に発し,この山を神体として礼拝する,神殿を持たない社として知られる。記紀にみえる三輪山伝説は有名。

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世界大百科事典(旧版)内の大神神社の言及

【神社建築】より

…日本の農耕にかかわる信仰は古い歴史をもつが,信仰の対象を物的に明示する方法は,長い間自然の一部をそのまま神聖視する素朴な段階にとどまっており,それが建築という形態をとるのはかなりのちのことと考えられる。奈良県の大神(おおみわ)神社,埼玉県の金鑽(かなさな)神社などが現在でもそうであるように,祭神をまつるべき本殿がなく背後の山を神体としたものがあり,また社すなわち杜(もり)が神域を示すという理解は古代以来きわめて普遍的であった。人工的な工作物をもって神の宿るところとしたもっとも単純なものは,一本の独立した柱を地上に立てることであって,この場合一本の柱はそのまま杜の象徴にほかならない。…

【清酒】より

麴(こうじ)
[来歴]
 《播磨国風土記》にはカビの生えた乾飯(かれいい)で酒をかもしたという伝承が記載されており,日本では8世紀初頭すでに酒造にこうじが用いられていたことをうかがわせる。古来,酒造の神として信仰を集めてきたのは奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社,京都市の梅宮(うめのみや)大社,松尾(まつのお)大社の3社であった。このうち松尾大社は朝鮮からの渡来氏族秦(はた)氏の氏神として701年奉斎されたが,5世紀後半ころこの地に秦の民が集められたさい伴造(とものみやつこ)に任ぜられた秦酒公(さけのきみ)は酒造技術者であったと考えられ,彼らの指導が古代日本の酒造を育成したと考えられる。…

【鎮花祭】より

…疫病が流行しないようにと疫癘(えきれい)を鎮めるまつり。神祇令の鎮花祭は注釈〈義解〉によると,毎年旧暦3月(季春)に奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社と,同神社の摂社である狭井(さい)神社(狭井坐大神荒魂神社)の二つのまつりで,それは春の花が飛び散るときに,疫神が分散して病気を流行させるので,これを鎮めるために行われるものとある。このまつりの起源は,崇神天皇が大田田根子(おおたたねこ)に三輪の神をまつらせたのがはじまりとされ,その後,平安時代にも盛んに行われた。…

【山宮】より

…これが里宮の成立である。大和三輪山の大神(おおみわ)神社,薩摩開聞岳の枚聞(ひらきき)神社などが,いずれも拝殿のみで本殿の構えをもたないのは,山頂を遥拝する里宮であったことを示している。したがって社祠の成立からみると里宮がはやく,山宮はその後であった。…

※「大神神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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