日本歴史地名大系 「桜野村」の解説
桜野村
さくらのむら
氏家村の東、
近世は初め宇都宮藩領、寛延二年(一七四九)下総佐倉藩領、安永三年(一七七四)上知されて再び宇都宮藩領となり幕末に至る。佐倉藩領時代には同藩の陣屋が置かれた。慶安郷帳では高二三五石余、田方一五五石余・畑方八〇石余。寛文一二年(一六七二)の検地帳(村上京子文書)によると高四二五石余、田五四町八反余・畑八六町三反余・屋敷三町五反余、田畑ともに下・下々が多く、田は上田七町六反余に対して三九町六反余、畑は上畑六町一反余に対して七〇町二反余を占める。
桜野村
さくらのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報