朝日日本歴史人物事典 「梅峰竺信」の解説
梅峰竺信
生年:寛永10(1633)
江戸前期の曹洞宗の僧。難波(大阪府)の人。11歳で出家し,万安英種や懶禅舜融などに参じたのち,宇治(京都府)興聖寺の竜蟠松雲の門に投じて法を嗣いだ。但馬(兵庫県)の養源寺,興聖寺に歴住したのち,墨江(大阪府)の臨南寺に隠棲した。徳川光圀の招きに応じて一時,常陸(茨城県)の耕山寺へ移ったが,病気のため3年で臨南寺に戻った。晩年に卍山道白と共に転住によって師を替えるなどの宗統混乱を正す宗統復古運動(一師印証)に尽力し,大和(奈良県)の興禅寺で死去した。業績は晩年の宗統復古運動であるが,また禅定家,思想家としても知られる。<著作>『洞門劇譚』『林丘客話』<参考文献>徳翁良高編『続日域洞上諸祖伝』
(志部憲一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報