日本歴史地名大系 「梅斎院井堰」の解説 梅斎院井堰うめざやいぜき 愛媛県:松山市重信川北岸地域(旧久米郡・下浮穴郡地区)高井村梅斎院井堰[現在地名]松山市高井町内(うち)川筋にある井堰。この井堰を通して来住(きし)・南久米(みなみくめ)・北久米の三村に灌漑されていた。享保一〇年(一七二五)に三村で協議の結果、分水および番水について慣行が成立し、明和六年(一七六九)に一部が変更された。ところが天明七年(一七八七)に、日瀬里(ひぜり)村(窪田(くぼた)村)の農民が新井手をつくって、来住への流水を自己の新田へ送ったことに端を発し、これに反対した来住・南久米・北久米の農民は実力行使に出て紛糾した。藩も事態の緊迫に憂慮して調停に当たったが、その案が日瀬里村に有利なことから、三村は反対して直接奉行に訴えようとした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by