棚倉城(読み)たなくらじょう

日本の城がわかる事典 「棚倉城」の解説

たなくらじょう【棚倉城】

福島県東白川郡棚倉町にあった平城(ひらじろ)。1620年(元和6)、棚倉藩5万石に入封した丹羽長重が1625年(寛永2)に築城し、2年後の1627年(寛永4)に完成した。以降、同藩の藩主居城、藩の政庁となった。城は本丸、二の丸、三の丸からなる天守をもたない城である。棚倉藩は関ヶ原の戦いの後、西軍に与して所領を没収された立花宗茂が、大名として再興を果たしたところである。宗茂は古くからある赤館城(同町大字棚倉)を居城としたが、その後藩主となった丹羽長重は、狭くかつ戦国時代の山城(やまじろ)である赤館城に代わる新城建設を幕府に願い出て許可された。赤館城は棚倉城に居城を移したのち廃城となっている。丹羽氏は同城の完成前後に白河藩に移封となったが、それ以後、城主(藩主)は次々と変わり、1866年(慶応2)には阿部正静が藩主となって明治を迎えた。戊辰戦争時、棚倉藩が奥羽越列藩同盟に加盟したことから、棚倉城は板垣退助率いる新政府軍の攻撃を受け、1868年(慶応4)に落城した。城跡は現在、城址公園(亀ヶ城公園)になっており、本丸の堀、土塁、石垣などがかなり良好な状態で現存している。また、同町内の長久寺には、棚倉城の南門が移築され、山門となっている。JR水郡線磐城棚倉駅から徒歩約25分。◇亀ヶ城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の棚倉城の言及

【棚倉[町]】より

…町域の大部分が山林で,久慈川と阿武隈川の支流社川の流域にわずかに平地が広がる。中心集落の棚倉は久慈川の段丘上にあり,1622年(元和8)丹羽長重が棚倉城を築いて以降,城下町として栄えた。現在も郡の中心地で,JR水郡線,国道118号線が郡山と水戸を結んでいる。…

※「棚倉城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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