日本大百科全書(ニッポニカ) 「森の石松」の意味・わかりやすい解説
森の石松
もりのいしまつ
江戸末期の博徒。生年不詳。遠州(静岡県)森の木挽(こびき)職人繁蔵の子という説と、三河(愛知県)八名(やな)郡で生まれたという説がある。東海道で有名な清水次郎長(しみずのじろちょう)の子分であったことは人の知るところ。石松は次郎長の代参として金毘羅詣(こんぴらもう)でをした帰り、都田(みやこだ)の常吉(つねきち)家へ寄ったところ、御幸山鎌太郎(みゆきやまかまたろう)からの預り金を、常吉の兄、吉兵衛に一晩貸すことになる。その返済を迫ったところ、吉兵衛兄弟らによって1860年(万延1)6月1日の夜、閻魔堂(えんまどう)(静岡県浜松市浜北区道本(どうほん))のあたりで襲われ、殺されたといわれている。今日伝えられているように、目が片方で、大酒飲み、喧嘩(けんか)好き、正直者であったというのは、講釈師3代目神田伯山(はくざん)が有名にし、さらに浪曲師2代目広沢虎造(とらぞう)が人気者に仕立て上げたもの。本当は両目が見えたという。
[芳井敬郎]