朝霧鏡子(読み)アサギリ キョウコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「朝霧鏡子」の解説

朝霧 鏡子
アサギリ キョウコ


職業
女優

本名
水谷 小夜子

生年月日
大正10年 2月19日

出生地
東京市 下谷区竹町(東京都 台東区)

学歴
松竹少女歌劇学校〔昭和9年〕卒

経歴
昭和8年小学卒業後、松竹少女歌劇学校に1回生として入る。12年から浅草国際劇場に出演、14年準幹部に昇格し、15年3月退団。同年4月松竹大船に入社、「女人転心」でデビュー。5年連続でブロマイドの売り上げが1位になるほどの人気だった。戦前軽演劇人気者清水金一のシミキン・シリーズ「シミキンの結婚相手」「弥次喜多凸凹道中」「シミキンの探偵王」などの相手役に起用され、それが縁で25年退社して、清水と結婚。以後、フリーで映画に出演。41年夫と死別、芸能界を引退しバーの経営に専念。遊興税導入の際には女性として初めて国会演説をして話題になった。平成7年38年ぶりに映画「午後遺言状」に出演。9年には同作品の舞台にも立った。

受賞
山路ふみ子映画賞(文化財団特別賞 第19回)〔平成7年〕「午後の遺言状」

没年月日
平成11年 5月28日 (1999年)

伝記
浅草のおんな 鈴木 としお 著(発行元 冬青社 ’99発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「朝霧鏡子」の解説

朝霧 鏡子
アサギリ キョウコ

昭和・平成期の女優



生年
大正10(1921)年2月19日

没年
平成11(1999)年5月28日

出生地
東京市下谷区竹町(現・台東区)

本名
水谷 小夜子

学歴〔年〕
松竹少女歌劇学校〔昭和9年〕卒

主な受賞名〔年〕
山路ふみ子映画賞(文化財団特別賞 第19回)〔平成7年〕「午後の遺言状」

経歴
昭和8年小学卒後、松竹少女歌劇学校に1回生として入る。12年から浅草国際劇場に出演、14年準幹部に昇格し、15年3月退団。同年4月松竹大船に入社、「女人転心」でデビュー。5年連続でブロマイドの売り上げが1位になるほどの人気だった。戦前の軽演劇の人気者・清水金一のシミキン・シリーズ「シミキンの結婚相手」「弥次喜多凸凹道中」「シミキンの探偵王」などの相手役に起用され、それが縁で25年退社して、清水と結婚。以後、フリーで映画に出演。41年夫と死別、芸能界を引退しバーの経営に専念。遊興税導入の際には女性として初めて国会で演説をして話題になった。平成7年38年ぶりに映画「午後の遺言状」に出演。9年には同作品の舞台にも立った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝霧鏡子」の解説

朝霧鏡子 あさぎり-きょうこ

1921-1999 昭和-平成時代の女優。
大正10年2月19日生まれ。昭和8年松竹少女歌劇団にはいり初舞台。15年松竹大船撮影所にうつり,「女人転心」で映画デビュー。以後「三人姉妹」「象を喰った連中」などに出演。41年夫の清水金一との死別を機に引退。平成7年映画「午後の遺言状」で復帰した。平成11年5月28日死去。78歳。東京出身。本名は水谷小夜子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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