飯田蝶子(読み)イイダ チョウコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「飯田蝶子」の解説

飯田 蝶子
イイダ チョウコ


職業
女優

本名
茂原 てふ

生年月日
明治30年 4月15日

出生地
東京市 浅草区新堀端(東京都 台東区)

学歴
上野高女中退

経歴
女店員、女記者、菊人形の監視人、マネキンなどを転々、松竹キネマの女優募集に応じたが失敗。無給でいいからと撮影所に日参、大正11年蒲田撮影所の大部屋入りを許された。翌年「死にゆく妻」でデビュー、牛原虚彦の「人性の愛」に老け役で出たのが好評で、以後、喜劇女優“女三枚目”として活躍。14年準幹部。昭和2年撮影助手の茂原英雄と結婚。小津安二郎常連となり、8年ごろから坂本武とコンビの“喜八物”(主人公が喜八)に助演、「浮草物語」や「隣の八重ちゃん」で人気を上げた。10年には幹部に昇進した。戦後黒沢明の「野良犬」、今井正の「どっこい生きている」、さらに「酔いどれ天使」「真昼の暗黒」「無法松の一生」などに出演。また加山雄三の「若大将」シリーズでおばあちゃん役として親しまれ、テレビにも出演、息の長い好脇役であった。

没年月日
昭和47年 12月26日 (1972年)

伝記
夫と妻のきずな〈下〉激動の昭和を生きた夫婦の記録今ひとたびの戦後日本映画今ひとたびの戦後日本映画清川虹子の愛と涙の交遊録―虹色変化の愉快な仲間たち 中島 力 著川本 三郎 著川本 三郎 著清川 虹子 著(発行元 国書刊行会中央公論新社岩波書店廣済堂出版 ’03’00’94’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「飯田蝶子」の解説

飯田 蝶子
イイダ チョウコ

大正・昭和期の女優



生年
明治30(1897)年4月15日

没年
昭和47(1972)年12月26日

出生地
東京市浅草区新堀端(現・東京都台東区)

本名
茂原 てふ

旧姓(旧名)
飯田

学歴〔年〕
上野高女中退

経歴
女店員、女記者、菊人形の監視人、マネキンなどを転々、松竹キネマの女優募集に応じたが失敗。無給でいいからと撮影所に日参、大正11年蒲田撮影所の大部屋入りを許された。翌年「死にゆく妻」でデビュー、牛原虚彦の「人性の愛」に老け役で出たのが好評で、以後、喜劇女優“女三枚目”として活躍。14年準幹部。昭和2年撮影助手の茂原英雄と結婚。小津安二郎の常連となり、8年ごろから坂本武とコンビの“喜八物”(主人公が喜八)に助演、「浮草物語」や「隣の八重ちゃん」で人気を上げた。10年には幹部に昇進した。戦後は黒沢明の「野良犬」、今井正の「どっこい生きている」、さらに「酔いどれ天使」「真昼の暗黒」「無法松の一生」などに出演。また加山雄三の「若大将」シリーズでおばあちゃん役として親しまれ、テレビにも出演、息の長い好脇役として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯田蝶子」の解説

飯田蝶子 いいだ-ちょうこ

1897-1972 大正-昭和時代の女優。
明治30年4月15日生まれ。大正12年松竹蒲田撮影所にはいり,喜劇的役柄端役をつとめる。小津安二郎の「一人息子」で好演し,小津映画の常連となる。戦後は「どっこい生きてる」などで庶民の中高年女性を演じ,テレビでも活躍。昭和47年12月26日死去。75歳。東京出身。上野高女中退。本名は茂原てふ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「飯田蝶子」の解説

飯田 蝶子 (いいだ ちょうこ)

生年月日:1897年4月15日
大正時代;昭和時代の女優
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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