神田伯山(読み)かんだはくざん

日本大百科全書(ニッポニカ)「神田伯山」の解説

神田伯山
かんだはくざん

講釈師

[延広真治]

初代

(?―1873)本名斎藤定吉。初代神田伯竜の門人。人品よく、『天一坊』を得意とし、『源九郎一代記』(1860)を刊行。1870年(明治3)弟子の伯勇に2代目を譲り、故郷川崎に帰ったが盗賊に殺害された。門弟82名に及び、神田派隆盛の基を築いた。

[延広真治]

2代

(1842―1921)本名玉川金次郎。1904年(明治37)門人小伯山に3代目を譲り、初代神田松鯉(しょうり)となる。『義士伝(ぎしでん)』『越後(えちご)伝吉』などを得意とした。

[延広真治]

3代

(1872―1932)本名岸田福松。『次郎長伝』を十八番にし、俗に次郎長伯山。人柄もまた侠気(きょうき)に富み、優れた門弟を育てた。

[延広真治]

5代

(1898―1976)本名岡田秀章。2代目の遺子2代松鯉(本名玉川悦太郎、1885―1967)に4代目を贈り、3代桃川如燕(じょえん)などを経て、5代目を襲名。反骨精神に富み、『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』を得意とした。晩年には4代目伯山と称した。

[延広真治]

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精選版 日本国語大辞典「神田伯山」の解説

かんだ‐はくざん【神田伯山】

[一] 初代。初代、神田伯龍の三高弟のひとり。「天一坊」を得意として評判を得、神田派の勢力を強めた。明治六年(一八七三)没。
[二] 二代。本名、玉川金次郎。初代の門弟。「越後伝吉」「幡随院長兵衛」など、世話物を得意とする。のち松鯉(しょうり)改名。天保一二~大正九年(一八四一‐一九二〇
[三] 三代。本名岸田福松。前名、松山(しょうざん)・小伯山。二代の門にはいり、「清水次郎長伝」などの侠客物に評判を得た。明治五~昭和七年(一八七二‐一九三二

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デジタル大辞泉「神田伯山」の解説

かんだ‐はくざん【神田伯山】

講談神田派の名。
(初世)[?~1873]幕末から明治初期に活躍した講談師。川崎の生まれ。本名、斎藤定吉。初世神田伯竜の門弟。特に「天一坊」が得意で、川柳に「伯山は天一坊で蔵をたて」と詠まれた。
(2世)[1841~1920]本名、玉川金次郎。初世の門弟。「幡随院長兵衛」などを得意とした。のち、松鯉しょうりと改名。
(3世)[1872~1932]本名、岸田福松。2世の門弟。「清水次郎長伝」などで有名。

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百科事典マイペディア「神田伯山」の解説

神田伯山【かんだはくざん】

講談師。初代〔?-1873〕は神田派のとされる初世神田伯竜の高弟。〈大岡政談〉のうち特に《天一坊》を得意とした。3代〔1872-1932〕は侠客物の上手(じょうず)とうたわれ,《清水次郎長》を十八番とした。5代〔1898-1976〕は無本で釈台に向かい,《駿河遊侠伝》をよくした。

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世界大百科事典 第2版「神田伯山」の解説

かんだはくざん【神田伯山】

講釈師。(1)初代(?‐1873(明治6)) 初代神田伯竜(神田派の祖)の門人。武蔵の国川崎の人と伝えられる。伯竜三高弟の一人で,独特の読み口を研究し,名人とうたわれ,神田派を一大勢力とした。〈伯山は天一坊で蔵をたて〉といわれたほど,《大岡政談》の《天一坊》を得意にした。(2)2代(1843‐1921∥天保14‐大正10) 本名玉川金次郎。《越後伝吉》《幡随院長兵衛》などで売ったが,伯山の名をゆずってのちは神田祭をしゃれて神田松鯉(しようり)の初代を名のる。

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