改訂新版 世界大百科事典 「森可成」の意味・わかりやすい解説 森可成 (もりよしなり)生没年:1523-70(大永3-元亀1) 戦国~安土時代の武将。美濃金山城主。通称三左衛門。初め斎藤道三のち織田信長に仕え,1555年(弘治1)清須の織田彦五郎を討った。翌年林美作守との戦い,58年(永禄1)浮野の戦,68年の上洛戦に従い戦功をたてた。70年(元亀1)近江の志賀,宇佐山の守将となったが,信長が摂津野田,福島を攻撃中に近江に進撃してきた浅井,朝倉の大軍と戦い,宇佐山城で織田信治とともに9月20日戦死した。可成には6男3女があったが,うち長可(ながよし),蘭丸ら5名は戦死している。執筆者:岩沢 愿彦 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森可成」の解説 森可成 もり-よしなり 1523-1570 戦国時代の武将。大永(たいえい)3年生まれ。織田信長の家臣で,美濃(みの)(岐阜県)金山城主。子に森長可(ながよし),森蘭丸ら。元亀(げんき)元年信長の越前(えちぜん)攻めのとき,近江(おうみ)(滋賀県)宇佐山城をまもる。浅井・朝倉勢に反攻され,同年9月20日織田信治とともに討ち死に。48歳。通称は三左衛門。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「森可成」の意味・わかりやすい解説 森可成もりよしなり [生]大永3(1523).美濃[没]元亀1(1570).9.20. 近江戦国時代の武将。通称,三左衛門。長可,蘭丸,忠政らの父。代々美濃金山城に住み,初め斎藤道三,のち織田信長に仕えた。元亀1 (1570) 年9月浅井長政,朝倉義景の連合軍に近江宇佐山の志賀城を攻められ戦死。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by