朝日日本歴史人物事典 「森石松」の解説
森石松
生年:生年不詳
江戸後期の侠客。賭博のもつれから人を殺し,遠江(静岡県)の森町太一親分から清水次郎長にあずけられた。暴れすぎて次郎長にあずけられた者には,他に名古屋吉五郎(鬼吉),大瀬半五郎らがいる。万延1(1860)年,次郎長の代参で讃岐の金比羅に参った帰り,遠江横須賀で旧知の都田吉兵衛,常吉,梅吉3兄弟に金を貸し,そのもつれから,堂本村のエンマ堂におびきだされ,都田一家と,旧敵保下田久六一家の残党布橋兼吉 らに斬られたとされる。エンマ堂から一度逃れ,一説に義兄弟小松村七五郎にかくまわれ,また一説に浜松まで行って傷の手当てを受け,豪胆であることをみせるために再びエンマ堂に引き返して殺されたという。「バカは死ななきゃなおらない」という名文句はここからきた。石松が片眼,片腕だったというのは,平井村の役(1864年)で負傷した三保豚松との混同。「長五等七人馳せて遠江に至り,石松の墳墓を尋ね齎す所の函を発き,(仇敵都田吉兵衛の)断臂を掛け,露坐一夜,天明に及びて去る」という『東海遊侠伝』(天田愚庵著)の石松通夜の一節に,片腕のイメージがある。
(平岡正明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報