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天田愚庵 あまた ぐあん

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美術人名辞典の解説

天田愚庵

臨済宗の僧。磐城平生。姓は甘田、名は久五郎、天田五郎と称する。愚庵は法号、法諱は鉄眼。山岡鉄舟に禅要を学び、清水次郎長の養子となるなど、交友は広かった。のち天龍寺滴水に参禅する。書を能くし、詩歌も巧みにした。明治37年(1904)寂、51才。

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デジタル大辞泉の解説

あまだ‐ぐあん【天田愚庵】

[1854~1904]歌人。福島の生まれ。本名、甘田久五郎、のち五郎と改名。諸国を流浪。万葉調の歌を作って正岡子規に影響を与えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

天田愚庵 あまだ-ぐあん

1854-1904 明治時代の歌人,僧。
嘉永(かえい)7年7月20日生まれ。父は陸奥(むつ)平藩(福島県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争で行方不明となった両親と妹をさがしもとめて各地を放浪。山岡鉄舟の紹介で一時,清水次郎長の養子になり,「東海遊侠伝」をまとめる。明治20年由利滴水のもとで出家。和歌では正岡子規に影響をあたえた。明治37年1月17日死去。51歳。本姓は甘田。通称は五郎。別号に鉄眼。著作に「巡礼日記」など。
【格言など】大和田に島もあらなくに梶緒絶え漂ふ舟の行方しらずも(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

天田愚庵

没年:明治37.1.17(1904)
生年:安政1.7.20(1854.8.13)
明治期の歌人,禅僧。清水次郎長の養子。幼名久五郎,のち五郎。鉄眉とも称す。陸奥国磐城平藩(いわき市)藩士甘田平太夫となみの子。15歳で戊辰戦争に参加,この戦いで父母,妹と生別し,藩閥政治への恨みと肉親捜しのため台湾まで足をのばした。西南の役参加と岩倉具視暗殺などを画策して,そのはねかえりぶりにあきれた山岡鉄舟により,明治14(1881)年,清水次郎長に紹介されて養子になる。17年2月,博徒狩りで次郎長が収檻されるや早くも4月,助命嘆願書として『東海遊侠伝』を著して出版。養父収檻中にもかかわらず,自由民権派の加波山蜂起1カ月前の同年8月,突然養子縁組を解消し,出家して京都清水坂に庵を構え,和歌と維新の内戦で死んだ人々の菩提をとむらう行脚の生活に入り,『巡礼日記』(1894)を著す。和歌は万葉調で,正岡子規にも影響を与えた日本のインテリヤクザ第1号。<参考文献>『愚庵全集』

(平岡正明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

あまだぐあん【天田愚庵】

1854~1904) 歌人。磐城いわき国平の生まれ。幼名、甘田久五郎。号、鉄眼。戊辰戦争後全国を流浪、山岡鉄舟・清水次郎長と交わる。正岡子規に先んじて万葉調の歌を詠んだ。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天田愚庵
あまだぐあん

[生]嘉永7(1854).7.20. 磐城
[没]1904.1.17. 京都
歌人。磐城平藩士の子として生れ,戊辰戦争に従軍して父母と生別,以後 20年,手を尽して探求したが,ついに再会できなかった。山岡鉄舟に師事,一時期,清水次郎長の養子となったこともある。のち仏門に入り,京都の清水産寧坂や桃山に庵を結び,悠々自適の生活をおくった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典内の天田愚庵の言及

【清水次郎長】より

…【吉原 健一郎】
[人物像]
 講談,浪曲の題材としての清水次郎長を定着させたのは,講釈師の3代目神田伯山であるが,この伯山のところに日参して稽古した浪曲師2代目広沢虎造のラジオ放送やレコードによって昭和初期の大衆にとって英雄の存在にまで高められた。《清水次郎長伝》の原典とされている伯山の講談は,主として天田愚庵の《東海遊俠伝》によっている。天田愚庵は,清水次郎長一家に寄宿したことのある歌人であるが,《東海遊俠伝》は,次郎長の存命中に,しかもその釈放運動に益するために書かれた気味もあり,もっぱら次郎長の功績をたたえることに終始している。…

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