森腰村
もりこしむら
[現在地名]珠洲市三崎町森腰
宇治村の北にあり、集落は海辺に近い。元和期(一六一五―二四)北の粟津村からの分村であると伝え(三崎文書)、その開拓にあたっては郡内各村から農民を招き寄せたらしく、鹿野村からの移住と伝える鹿野姓の数軒があり、当村民の菩提寺も多数にわたる。正保郷帳に森腰新村とみえ、高二四九石余、田一五町四反余・畑一町一反余とあるが、貼紙に宇治村の新田に入ると記す。
森腰村
もりこしむら
[現在地名]静岡市森腰
安倍川支流の中河内川中流に位置し、同川右岸の河岸段丘上に集落、同川沿いにわずかに水田がある。南は落合村。北西の大沢村へ尾根伝いに険阻な二里余の山道が通じる(駿河記)。戦国期には杜之腰と書く。永禄一三年(一五七〇)二月二〇日の武田家朱印状写(「紀伊国古文書」所収藩中古文書)によると、「三百文 杜之腰」が朝倉弥六郎に宛行われている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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