椎津城跡(読み)しいづじようあと

日本歴史地名大系 「椎津城跡」の解説

椎津城跡
しいづじようあと

[現在地名]市原市椎津

海岸に向けて張出した台地外郭とぐるわを含む一帯に築かれていた中世の城跡。暦応三年(一三四〇)銘の武蔵型板碑の存在などから南北朝期から当城があったとする説があるが、真里谷武田氏が勢力を広げた一五世紀後半より一六世紀初頭に築城された可能性が高いという。西上総の沿岸部で最北に位置するため諸勢力の拮抗する地で、永正一六年(一五一九)武田氏の要請を受けた足利義明に対して、対立する足利高基の軍勢が当地を攻撃しており、同年と推定される八月二三日の足利高基感状(書上古文書)に「於要害、抽粉骨走廻之条」として、羽生上総介の軍忠を賞している。天文三年(一五三四)武田氏の内訌のなかで一方の当事者武田信隆が居城していたが、信応に味方した小弓公方足利義明により椎津城は攻撃を受け、一〇〇余人が討取られている(「快元僧都記」同年一一月二〇日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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