椙尾神社(読み)すぎのおじんじや

日本歴史地名大系 「椙尾神社」の解説

椙尾神社
すぎのおじんじや

[現在地名]鶴岡市馬町

うまみやしたの西、加茂かも台地の小丘上のみやこしにある。主祭神は積羽八重事代主大神とその后神天津羽羽大神。神職を務めた菅原大和守家の旧記(菅原文書)によると欽明天皇の代に創建され、初めは小物忌こものいみ神社といい北東面野山おものやまにあったが、養老三年(七一九)現在地に移された。平安時代に竜田彦大神と竜田姫大神、鎌倉時代には大泉おおいずみ庄地頭武藤義郷により鳥海山大物忌大神と月山大神とが勧請されたと伝え、現在は計六柱を合祀する。旧県社。近世には杉尾明神、椙尾山神宮寺じんぐうじ大明神などとよばれ、大山村など近隣の村の産土神であった。

慶長一六年(一六一一)七月には大山城主下実秀とその家老原頼秀により、「田川郡椙尾山」に石鳥居一宇が寄進された。この鳥居は越前国きた(現福井市)から運ばれたもので(石鳥居銘)、現在県指定文化財となっている。翌一七年、最上義光から黒印地一七〇石余を与えられた(「椙尾山神宮寺大明神社領」菅原文書)。延宝九年(一六八一)の庄内寺社領高付帳によれば、黒印地の内訳は馬町村一七石・宮ノ下村(馬町村内)二〇石・野興屋のごや村二〇石余・湯野浜ゆのはま村二〇石余・面野山おものやま村八石・下川しもがわ村八四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「椙尾神社」の解説

椙尾神社

(山形県鶴岡市馬町字宮ノ腰)
鶴岡市ふるさと景観資源」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報