日本歴史地名大系 「極楽町」の解説 極楽町ごくらくまち 三重県:津市津城下極楽町[現在地名]津市寿(ことぶき)町寺(てら)町南端の堀川口に成立した町人町。藤堂高虎の城下町形成によって寺町が成立し、次いで堀川が掘られるが、当初堀川口の東岸に家並はなく、寛永期(一六二四―四四)の城下図(多羅尾家蔵)の堀川口も、不整形な川岸となっている。「宗国史」などによれば、二代藩主高次によって寛永八年寺町南端の昌泉(しようせん)院(願王寺)が寒松(かんしよう)院と改称され、その南隣に願王(がんおう)寺末寺(塔頭)として極楽寺(利昌院)が建立された。極楽寺の主僧が寒松院の院代として寺務を主管し、寺役雑務の人々を堀川口東岸に居住させたのが町の始まりであろう。初め御門前新(ごもんぜんしん)町とよばれ、極楽寺門前で、主僧の管理町でもあるところから極楽町と称した。 極楽町ごくらくちよう 京都市:伏見区伏見町第一区極楽町[現在地名]伏見区深草(ふかくさ)極楽町通称「ワカレ」とよばれる直違橋(すじかいばし)三丁目から西へ、飯食(いじき)町に通じる迂回道筋の町。「豊公伏見城ノ図」によれば、東西路の南北両側に町家地、南側町家裏に渡辺五郎兵衛屋敷、北側町家裏に木下丹下屋敷がある。これらの屋敷は伏見城廃城後荒廃して畑地となり、町並の人家もまばらであったらしい。町名の由来は「新市域各町誌」は、極楽山西休(さいきゆう)寺の山号をもって町名としたとする。「京都府地誌」はまた、「往古深草郷。極楽寺此ニアリ。後チ村邑トナリ、極楽寺邑ト云。文禄中市街編制ノ日、其民家深草村ニ遷ル」とも記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by