デジタル大辞泉 「榎本喜八」の意味・読み・例文・類語 えのもと‐きはち【榎本喜八】 [1936~2012]プロ野球選手。東京の生まれ。昭和30年(1955)毎日(ロッテの前身)に入団。チームの中心打者として活躍し、「安打製造機」と称された。昭和43年(1968)には日本プロ野球史上最年少で2000本安打を達成した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
百科事典マイペディア 「榎本喜八」の意味・わかりやすい解説 榎本喜八【えのもときはち】 プロ野球選手。内野手で一塁を守る。東京都出身。早稲田実業高校では王貞治の4年先輩にあたる。2人を指導し,のちに読売ジャイアンツのコーチとなる荒川博が〈王の練習熱心は有名だが,榎本は王の倍も練習した。王が榎本ぐらい練習していれば,1000本塁打を打っていただろう〉と言ったという逸話が残る。高校卒業後,パシフィック・リーグの毎日オリオンズに入団。その年の1955年に打率2割9分8厘,ホームラン19本で新人王を獲得。プロ野球界で最初に〈安打製造機〉の異名をとったことで知られる。2度の首位打者に輝き,3割以上の打率を6度記録。チーム名が変わった大毎オリオンズでは山内一弘らと〈ミサイル打線〉の一翼を担った。1972年パリーグの西鉄ライオンズに移籍し,同年に現役引退。2016年に野球殿堂(でんどう)入り。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「榎本喜八」の解説 榎本喜八 えのもと-きはち 1936-2012 昭和時代後期のプロ野球選手。昭和11年12月5日生まれ。昭和30年毎日に入団。一塁手で5番を打ち,新人王。山内一弘,葛城隆雄らとミサイル打線を構成。すぐれた選球眼,はやいスイングで「安打製造機」といわれた。実働18年,首位打者2回,通算2314安打,2割9分8厘,246本塁打。平成24年3月14日死去。75歳。東京出身。早稲田実業卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「榎本喜八」の解説 榎本 喜八 (えのもと きはち) 生年月日:1936年12月5日昭和時代;平成時代の元・プロ野球選手 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by