山内一弘(読み)ヤマウチカズヒロ

デジタル大辞泉 「山内一弘」の意味・読み・例文・類語

やまうち‐かずひろ【山内一弘】

[1932~2009]プロ野球選手・監督愛知の生まれ。昭和27年(1952)毎日(千葉ロッテ前身)に入団パリーグを代表する打者となり、同35年チームをリーグ優勝に導く。プロ野球初の300本塁打通算2000試合出場を達成。引退後はロッテ中日で監督を務めた。

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百科事典マイペディア 「山内一弘」の意味・わかりやすい解説

山内一弘【やまうちかずひろ】

プロ野球選手。愛知県出身。旧名和弘。外野手。愛知県立起(おこし)工業高校卒業後,社会人野球を経て,1952年にテスト生としてパシフィック・リーグの毎日オリオンズ(のち大毎オリオンズ,ロッテオリオンズなどを経て,現在の千葉ロッテマリーンズとなる)に入団。毎日時代は榎本喜八(きはち)・田宮謙次郎らと〈ミサイル打線〉を形成し,リーグ優勝に貢献した。1963年のシーズンオフにセントラル・リーグ阪神タイガース小山正明ピッチャー。通算で320勝232敗)との〈世紀の大トレード〉と呼ばれた交換トレードで阪神に移籍。のちセントラル・リーグの広島東洋カープにも在籍した。その後,ロッテオリオンズ,中日ドラゴンズの監督を務めた。毎日・大毎時代に首位打者1回,本塁打王2回,打点王4回,最高殊勲選手1回。通算では2271安打,396本塁打,打率2割9分5厘。〈山さん〉の愛称で親しまれ,その打撃スタイルなどから〈打撃の職人〉〈シュート打ちの名人〉〈オールスター男〉と呼ばれた。2002年に野球殿堂入り。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山内一弘」の意味・わかりやすい解説

山内一弘
やまうちかずひろ

[生]1932.5.1. 愛知
[没]2009.2.2. 神奈川 
プロ野球選手,コーチ,監督。1951年起工業高等学校を卒業,社会人野球の川島紡績を経て 1952年毎日オリオンズに入団。1年目から破壊力十分の「ミサイル打線」の中心打者として活躍。シュート打ちの名人,打撃の職人,との異名をとり,投手が自信をもって投げる内角球を本塁打にした。1964年小山正明投手とのトレードで阪神タイガースに移籍,1年目に 4番打者として優勝に導いた。1968年広島カープ(のちの広島東洋カープ)に移り,1970年に引退。ロッテ・オリオンズ(のちの千葉ロッテマリーンズ),中日ドラゴンズの監督を務めた。読売ジャイアンツなどでコーチを務め,「教え魔」と呼ばれるほどの熱血指導で知られた。通算出場試合数 2235,首位打者 1回,本塁打王 2回,打点王 4回,最優秀選手 MVP 1回。2002年野球殿堂入り。(→プロ野球

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山内一弘」の解説

山内一弘 やまうち-かずひろ

1932-2009 昭和時代後期のプロ野球選手,監督。
昭和7年5月1日生まれ。ノンプロ川島紡績をへて,昭和27年毎日に入団。榎本喜八,葛城隆雄らとミサイル打線をくみ,シュート打ちの名人とよばれた。39年阪神,43年広島へ移籍。実働19年,首位打者1回,本塁打王2回,打点王4回。通算2271安打,2割9分5厘,396本塁打。のちロッテ,中日監督。平成14年野球殿堂入り。平成21年2月2日死去。76歳。愛知県出身。起(おこし)工高卒。旧名は和弘。

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367日誕生日大事典 「山内一弘」の解説

山内一弘 (やまうちかずひろ)

生年月日:1932年5月1日
昭和時代;平成時代の野球解説者;元・プロ野球選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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