樋口龍峡(読み)ひぐちりゅうきょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「樋口龍峡」の意味・わかりやすい解説

樋口龍峡
ひぐちりゅうきょう
(1875―1929)

評論家、社会学者、政治家。本名秀雄。長野県生まれ。甥(おい)に日夏耿之介(ひなつこうのすけ)がいる。東京帝国大学文科大学哲学科卒業。『帝国文学』『哲学雑誌』に関係、その後『新日本』を永井柳太郎(りゅうたろう)と編集した。また美的生活論、自然主義論に参加、とくに1909年(明治42)後藤宙外(ちゅうがい)、笹川臨風(ささかわりんぷう)らと文芸革新会をおこし、反自然主義の立場をとった。しかし、1915年(大正4)衆議院議員となり、それ以後政界で活躍した。著書には評論集『碧潮(へきちょう)』(1906)、『時代と文芸』(1909)、近代思想を論じた『近代思想の解剖』『現代思潮論』(ともに1913)、社会学関係の『社会学小史』(1911)、『社会学十回講義』(1912)などがある。

[畑 実]

『『明治文学全集41 樋口龍峡他集』(1971・筑摩書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「樋口龍峡」の解説

樋口 龍峡
ヒグチ リュウキョウ

明治〜昭和期の評論家,社会学者,政治家 衆院議員(第一控室会)。



生年
明治8年5月14日(1875年)

没年
昭和4(1929)年6月6日

出生地
長野県

本名
樋口 秀雄(ヒグチ ヒデオ)

学歴〔年〕
東京帝国大学哲学科〔明治33年〕卒,東京帝国大学大学院

経歴
明治32年「社会」を編集し、また「帝国文学」の委員などもする。34年「美的生活論を読んで樗牛子に与ふ」を発表。35年哲学雑誌編集員となり「ニーチェ氏倫理説」を発表。39年「碧潮」を刊行。同年渡清し、以後も評論家として幅広く活躍。自然主義に反論し「むら雲」「時代と文芸」「社会主義と国家」などを次々に刊行。44年「新日本」を編集し、大正4年衆院議員に当選。民政党総務を務めるなど、以後政治家として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「樋口龍峡」の解説

樋口 龍峡
ヒグチ リュウキョウ


肩書
衆院議員(第一控室会)

本名
樋口 秀雄(ヒグチ ヒデオ)

生年月日
明治8年5月14日

出生地
長野県

学歴
東京帝国大学哲学科〔明治33年〕卒 東京帝国大学大学院

経歴
明治32年「社会」を編集し、また「帝国文学」の委員などもする。34年「美的生活論を読んで樗牛子に与ふ」を発表。35年哲学雑誌編集員となり「ニーチェ氏倫理説」を発表。39年「碧潮」を刊行。同年渡清し、以後も評論家として幅広く活躍。自然主義に反論し「むら雲」「時代と文芸」「社会主義と国家」などを次々に刊行。44年「新日本」を編集し、大正4年衆院議員に当選。民政党総務を務めるなど、以後政治家として活躍した。

没年月日
昭和4年6月6日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

367日誕生日大事典 「樋口龍峡」の解説

樋口 龍峡 (ひぐち りゅうきょう)

生年月日:1875年5月14日
明治時代-昭和時代の評論家;政治家。衆議院議員
1929年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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