笹川臨風(読み)ササカワリンプウ

デジタル大辞泉 「笹川臨風」の意味・読み・例文・類語

ささかわ‐りんぷう〔ささかは‐〕【笹川臨風】

[1870~1949]評論家俳人東京の生まれ。本名、種郎。俳句結社「筑波会」をおこして句作。のち、「帝国文学」の編集従事。著「日本絵画史」「東山時代の美術」など。

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精選版 日本国語大辞典 「笹川臨風」の意味・読み・例文・類語

ささかわ‐りんぷう【笹川臨風】

俳人。評論家。本名種郎(たねお)。東京出身。東大国文科卒。大学在学中「筑波会」をおこし句作にはげむ。のち、「帝国文学」の編集に携わった。美術批評家としても活躍。明治三~昭和二四年(一八七〇‐一九四九

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百科事典マイペディア 「笹川臨風」の意味・わかりやすい解説

笹川臨風【ささかわりんぷう】

国史学者,美術評論家,邦楽研究家。本各種郎(たねお)。東京生れ。東大国史学科卒。高山樗牛姉崎正治らと《帝国文学》を編集。著書には《支那小説戯曲小史》(1897年)などがあり,宇都宮中学校長辞任後には,三省堂版《日本百科大事典》の編集にあたった。1924年《東山時代の美術》で文学博士明治大学などで講じたほか歴史小説も執筆し,江戸期古曲の保存にも尽力した。
→関連項目登張竹風

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「笹川臨風」の意味・わかりやすい解説

笹川臨風
ささかわりんぷう
(1870―1949)

歴史家、俳人。本名種郎(たねお)。東京生まれ。東京帝国大学国史科卒業。在学中、高山樗牛(ちょぎゅう)、姉崎嘲風(ちょうふう)、田岡嶺雲(れいうん)を知り、大野洒竹(しゃちく)、佐々醒雪(さっさせいせつ)らと筑波会(つくばかい)をおこして俳句の研究に励んだ。1909年(明治42)反自然主義グループの文芸革新会に参画教職のかたわら多彩な著作を残しており、おもに日本文化史、とくに美術史と史伝ものに健筆を振るった。博士論文である『東山時代の文化』(1928)のほか、『元禄時勢粧(げんろくじせいそう)』(1901)、『南朝正統論』(1911)、『日本絵画史』(1922)などの著書がある。

[吉田正信]

『久松潜一編『明治文学全集41 笹川臨風他集』(1971・筑摩書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「笹川臨風」の解説

笹川臨風 ささがわ-りんぷう

1870-1949 明治-昭和時代前期の評論家,俳人。
明治3年8月7日生まれ。帝国大学在学中に佐々醒雪(せいせつ)らと俳句結社筑波会を結成。明治42年文芸革新会の結成をとなえる。宇都宮中学校長,明大・東洋大教授などをつとめ,歴史書や美術評論などをあらわした。昭和24年4月13日死去。80歳。東京出身。本名は種郎(たねお)。著作に「支那小説戯曲小史」「日本絵画史」「南朝正統論」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「笹川臨風」の意味・わかりやすい解説

笹川臨風
ささかわりんぷう

[生]明治3(1870).8.7. 東京
[没]1949.4.13. 東京
評論家,俳人。本名,種郎。東京大学国史科在学中,高山樗牛,姉崎嘲風らと『帝国文学』を編集し,『支那小説戯曲小史』 (1897) をまとめる一方,俳句では 1895年筑波会を起して句作に励んだ。ほかに美術評論『日本絵画史』 (1922) ,『東山時代の美術』 (24) などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の笹川臨風の言及

【史料大成】より

…平安時代から室町時代までの貴族の日記を翻刻出版した叢書。笹川臨風(種郎)編,矢野太郎校訂。1934‐44年(中絶)。…

※「笹川臨風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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