弁官下文(くだしぶみ)とも呼ばれ,太政官上卿(しようけい)の宣(口頭による命令)に基づき,太政官の一部局である弁官局が諸国や寺社にあてて発給する下文。様式的には,〈左(右)弁官下〉で始まり,文体が漢文体,書体が楷書体,日付が書下(かきくだし)年号である。上卿の宣によって発給され,宛所が機関である点で,官符,官牒等の太政官文書と共通している。しかし下文の特徴として,差出所(弁官)から宛所に下す意を,〈下〉という伝達文言で直截に表現し,官印を省略し,位署が簡略化されている点が大きな相違である。一般に左弁官から出すものが多く,右弁官から出すのは凶事の場合に限られたといわれる。位署は,弁官局構成員(左右の大中少弁各1人計6人,左右の大少史各2人計8人)のうち弁1人(日付次行上段)と史1人(同下段)とが,当官職,氏,姓,名(花押)を書き,位階,兼官職等は省略する。官宣旨の初見は,写ながら《寺門伝記補録》に載せる貞観11年(869)9月15日付の延暦寺にあてたものであるが,とくに盛んに用いられるようになるのは11世紀以降のことである。このころから権門勢家と国司との荘園をめぐる相論が激しくなっていくが,太政官におけるこの裁判進行の文書として,天皇御璽・官印の請印や文書授受の儀式の厳格な官符・官牒は,あまりにも手数と時間がかかり,煩わしいものであった。そのため,裁判の手続上の指令には,宣旨とともに官宣旨が好んで用いられたのである。しかし鎌倉中期以降になると官宣旨のこのような用法は,院宣,綸旨(りんじ)にとってかわられ,官宣旨はもっぱら寺社における仏神事の日時指定,そのための官使発遣などにその使用を限定していく。
執筆者:富田 正弘
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太政官(だいじょうかん)の一部局である弁官局(べんかんきょく)が諸国・諸寺社に下した公文書。左・右弁官局のいずれかが、太政官の当日の政務担当公卿(くぎょう)である上卿(しょうけい)の命を受け、請印(しょういん)や授受の儀式を省略して宛所(あてどころ)に直接に下す文書で、無印の下文(くだしぶみ)様式を用い、担当者の位署(署名)などの表記も簡略化されている。律令(りつりょう)に規定された文書に比して作成・発給の手続が簡便な点が特徴である。初見は『華頂要略(かちょうようりゃく)』所収の貞観(じょうがん)11年(869)5月11日付けのもの。以前太政官が官符(かんぷ)または官牒(かんちょう)にて発した政務事項のうち、緊急を要するもの、軽易な内容のものは、平安時代以降官宣旨で下すようになる。とくに、11世紀中ごろから13世紀中ごろまでは、国司(こくし)と諸権門勢家(けんもんせいか)との荘園(しょうえん)をめぐる相論(そうろん)を太政官が裁許したが、その訴訟手続文書としてもっとも盛んに用いられた。
[富田正弘]
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弁官下文(くだしぶみ)とも。太政官の上卿(しょうけい)の宣(命令)をうけて弁官が発給する文書。「左(右)弁官下」で書き出してその下に充所を記し,本文の後の日付の下に史,奥に弁官(1人)が位署する様式。通常の事項は左弁官,凶事は右弁官の下文を用いた。捺印など複雑な手続きのいる太政官符・牒にかわり,9世紀半ばから出現するが,11世紀半ば以降,弁官の事務処理機能の強化で官宣旨の数と重要性が増大した。
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…その淵源は二つに分けられる。一つは奈良時代に,仰せ,命令の意で広く用いられていた宣の系譜を引く内侍宣(ないしせん),宣旨(せんじ),口宣案(くぜんあん),官宣旨(弁官下文),国司庁宣,大府宣などである。内侍宣は,天皇に近侍して奏宣をつかさどる内侍司の女官が天皇の仰せを伝えるものであるが,薬子の変を機に蔵人所が置かれ(810),蔵人が天皇の仰せを,太政官の上卿に伝えるようになった。…
…そこで文書作成担当者から直接下達する文書として開発されたのが下文である。下文の最も早い形は,9世紀から見える官宣旨(弁官下文)で,太政官符・牒に代わって,太政官の一部局である弁官局から発給され,形式としては差出所(左・右弁官)と宛所の間の伝達文言に〈符〉に代わって〈下〉を用いる点が特徴である。11世紀に至り,荘園制や公領請負制が進展すると,領主や官司は,その支配のため政所を設け,政所から荘園・公領の在地に下命する文書として下文を用いたが,これが政所下文で,13世紀ころ奉書や書下に代わるまで盛んに用いられた。…
…(B)令外様文書 律令制の崩壊とともに,公式様文書に代わって,重要な政治文書として用いられるようになったのが令外様文書である。すなわち公式様文書の繁雑な発給手続を省略して,上卿(しようけい)の仰(おおせ)を直接当事者に伝えるようになったのが宣旨で,それを太政官の正式文書として発給したのが官宣旨である。官宣旨は〈左(右)弁官下……〉という書式をとることから弁官下文(くだしぶみ)ともいわれ,これから院庁(いんのちよう)下文,公家あるいは寺社の政所(まんどころ)下文という文書が成立した(下文)。…
…つまり,宣旨は,結果として上司の宣を配下が奉って第三者に伝える構造をとるのである。 宣旨の種類は,奈良時代には多種多様であるが,平安時代にみられるのは,天皇の口勅を蔵人が奉り上卿に伝える口宣(くぜん)(ただし,11世紀末には宣旨と異なる様式となる),内侍の伝宣を検非違使庁官人が奉る内侍宣,使別当の宣を使庁官人が奉る検非違使別当宣,上卿の宣を外記(げき)が奉る上卿宣旨(外記宣旨),上卿宣を弁官が伝宣し史が奉る弁官宣旨等である。このうち,外記宣旨と弁官宣旨は,太政官から出される宣旨で,とくに重要である。…
…これらが後世公卿(くぎよう)といわれるものであって,その定員は10世紀ころまでほぼ守られていた。この組織は,天皇の諮問にこたえ,国政や法を審議し,また,天皇の命令(勅)や審議決定事項を後述の弁官局に伝えて,行政執行命令書としての太政官符(諸官庁に下す命令書),太政官牒(寺院などに下す命令書),弁官下文(官宣旨(かんせんじ)ともいい,太政官符,太政官牒の様式と発布手続を簡略にしたもの)を作成させ,執行させる。これは,律令制以前に存在した畿内出身の有力豪族の長による国政合議の体制を継承したものであって,8世紀前半には旧豪族の拠点として天皇の権力を掣肘(せいちゆう)する機能を保持していたが,8世紀半ば以降そうした機能は失われ,しだいに天皇に従属するものとなった。…
※「官宣旨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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