樺太開拓使(読み)からふとかいたくし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「樺太開拓使」の意味・わかりやすい解説

樺太開拓使
からふとかいたくし

開拓使の分官。樺太サハリン)の対ロシア紛争に対処し樺太開拓を進めるため、1870年(明治3)2月に設置され、5月には黒田清隆(きよたか)が開拓次官に任ぜられ樺太専務を命ぜられた。開拓費を金12万両、米5000石と定め、クシュンコタンに庁舎を置き、農作物試作漁場官営、移民誘致などを試みたが、十分な成果はあがらず、ロシアの植民経営に押されがちであった。同年10月には黒田も、樺太を放棄し北海道の開拓に力を注ぐべきことを建言した。71年8月、樺太開拓使は廃止され、樺太はふたたび開拓使が直轄することになった。

[永井秀夫]

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百科事典マイペディア 「樺太開拓使」の意味・わかりやすい解説

樺太開拓使【からふとかいたくし】

明治初年樺太開拓事業を担当した旧官庁。1869年北海道開拓の目的をもって太政官の管轄下に開拓使が置かれ,1870年樺太開拓使を分置して開拓使も北海道開拓使となった。樺太支庁は大泊(おおとまり)(コルサコフ)に置かれた。1871年北海道開拓使と再び統合され,開拓使となった。
→関連項目サハリン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「樺太開拓使」の意味・わかりやすい解説

樺太開拓使
からふとかいたくし

明治政府が樺太 (サハリン) 開拓のため設置した官庁。明治3 (1870) 年2月,ロシア人南下にそなえて設けられた。5月,同使次官に兵部大丞黒田清隆が任じられ,久春古丹を支庁とした。翌4年8月,黒田の建策で北海道開拓使 (→開拓使 ) と合併。 1875年 11月,樺太=千島交換条約廃庁

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世界大百科事典(旧版)内の樺太開拓使の言及

【開拓使】より

…1869年(明治2)7月版籍奉還後の官制改革によって設置され,82年2月に廃止された。この間1870年2月に樺太開拓使を分置し,開拓使も北海道開拓使と称したが,廃藩置県後の71年8月再び統合して開拓使となった。版籍奉還後,ただちに開拓使が設置されたのは,日露雑居の地樺太をめぐってロシアとの関係が緊張し,北方の開拓が急務とされたからであり,開拓によって国富を増進できるのではないかという期待もあった。…

【北海道】より

…また蝦夷地を北海道と改称して11国86郡に分けた。しかし当初開拓使が管轄したのはこのうち20郡余にすぎず,他は省,府,藩,士族,寺院に分割支配させ,70年には樺太を管轄する樺太開拓使を分置した。翌71年開拓使は樺太開拓使を併合,さらに諸県(旧藩)などの支配地も管轄下に収めた。…

※「樺太開拓使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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