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1875年5月7日,ペテルブルグで榎本武揚,ゴルチャコフ両全権の間で調印され,日露両国間の領土問題を解決した条約。同年8月22日批准,11月10日布告。明治政府が旧幕府からひきついだ北方領土の状況は,安政1年12月21日(1855年2月7日)調印の日露和親条約以来,樺太(サハリン)は日露両国民雑居の地とされ帰属未解決のままであり,千島(クリル)列島は択捉(えとろふ)島,ウルップ島の間を日露の境界とし,その以北をロシア領としてきた。イギリス公使パークスは日本の樺太放任はロシア領化を招くと警告し,ロシアに売却するか代地と交換するのを良策とし,むしろ北海道開拓に専念するよう忠告した。樺太では日露両国雑居のため紛争が絶えず,南下するロシアに対抗する軍事力,経済力を日本がもたぬため,1874年1月,政府は榎本武揚を海軍中将,特命全権公使として,彼我雑居を廃し境界を定むること,樺太全島をロシア領とする代地としてウルップ島よりカムチャツカに連なる千島諸島を日本が受領することを指示した。条約はフランス文を正文とし,8条よりなる。主要内容は次のとおり。(1)日本は樺太島の一部に有する権利をロシアに譲り,樺太全島をロシア領とし,ラ・ペルーズ海峡(宗谷海峡)を両国境界とする。(2)ロシアはその代償として,千島群島18島の一切の権利を日本に譲り,以後,千島全島は日本に属し,カムチャツカ半島とシュムシュ(占守)島の間の海峡を両国境界とする。(3)日本の好意に酬いるため,以後10年間コルサコフ(久春古丹)入港の日本船の港税と海関税を免除し,同港に日本領事館を置く権利を認め,オホーツク海とカムチャツカ諸港の日本人漁業権を承認する。
執筆者:藤村 道生
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1875年(明治8)5月7日、ロシアの首都ペテルブルグで調印された日露間の国境確定条約。千島・樺太交換条約ともいい、ロシアではサンクト・ペテルブルグ条約という。本文8か条、付属公文などよりなるが、中心は樺太(サハリン)に対する日本の領有権と得撫(ウルップ)島以北のロシア領千島列島とを交換した点にある。日露間の国境は、1854年(安政1)の日露通好条約第2条により、千島列島の択捉(えとろふ)島と得撫島の間とされたが、樺太については「是迄仕来之通(これまでしきたりのとおり)」となり、国境画定ができなかった。その後数度の交渉を経て67年3月、ペテルブルグで樺太島仮規則が調印され、樺太の日露両属の確認と両国人の全島自由往来などが約された。しかし、このころより樺太におけるロシアの南下が積極化し、亜庭(あにわ)湾の占拠、日本人漁民の基地クシュンコタン付近にまで駐営施設を設営するに至り、日露両国人の紛争が頻発するようになった。
明治維新以後、新政府においてはさまざまな論議がなされてきたが、開拓次官黒田清隆(きよたか)は樺太経営の不利益を説き、政府も1873年の征韓派下野により樺太放棄論に傾くようになる。朝鮮へのロシアの介入を警戒したこと、樺太ではロシアに対応できないことが認識されてきたためである。74年1月駐露公使に任命された榎本武揚(えのもとたけあき)は、ロシア外務省アジア局長スツレモフとの交渉を重ね、樺太・千島交換条約を成立させた。なお、この条約は日露戦争後に調印されたポーツマス条約で失効したが、現在では、いわゆる北方領土問題に関連して、条約の位置づけや内容が問題となっている。
[船津 功]
『木村汎編『北方領土を考える』(1981・北海道新聞社)』▽『石井孝著『明治初期の日本と東アジア』(1982・有隣堂)』
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明治初期,日露両国間の懸案だった領土問題を解決した条約。1875年(明治8)5月7日,ペテルブルクで榎本武揚公使とゴルチャコフ外相が調印。8カ条。正文はフランス文。おもな内容は,(1)日本は樺太島(サハリン)にもつ権利をロシアに譲り,全島をロシア領とし,ラペルーズ海峡(宗谷海峡)を両国の境界とする。(2)ロシアは代わりにクリル諸島(千島列島)のウルップ島(得撫島)まで18島を日本に譲る。(3)ロシアは日本のオホーツク海,カムチャツカ諸港での通商航海と近海の漁業に最恵国待遇を与える(北洋漁業権)。(4)現地住民(アイヌ)の去就は本人の意志に任せる。8月批准,同月東京で条約付録に調印。従来日露雑居だった樺太の放棄には国内に非難を生じた。
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1875年5月7日に日露間で調印された条約。日本がサハリン(樺太)島に対するすべての権利を放棄する代わりに,ロシアが所有していたウルップ島以北の18島をロシアから獲得した。以後サハリン全島はロシア,クリル諸島(千島列島)全部は日本の領土となった。
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…72年〈北海道土地売貸規則〉〈地所規則〉を制定して北海道の土地に対する私有権を認めたが,アイヌは対象外とされ,和人のみに土地を与えたため,アイヌ民族は〈旧土人〉として身分差別とともに本来の生産・生活の場さえ失うに至った。(2)75年の樺太・千島交換条約により,樺太アイヌ108戸,841人が北海道宗谷へ強制的に移住させられ,次いで翌76年石狩の対雁(ついしかり)に移住させられた。84年には千島列島の占守(シユムシユ)島のアイヌ97人がこれまた強制的に色丹島に移住させられた。…
…63年(文久3)には通商条約も結ばれて,箱館にロシア領事館がおかれた。 維新後の1875年には樺太・千島交換条約が調印されて,千島列島は日本領とされ,サハリン全島はロシアに帰属した。その後中国東北部と朝鮮半島をめぐって日本とロシアの二つの帝国はするどく対立し,95年の三国干渉を経て,1904‐05年には日露戦争が起こった。…
※「樺太千島交換条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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