橋場村
はしばむら
[現在地名]柏崎市橋場・
松波一―四丁目・
豊田・
東柳田・
美穂田・
宝田・
栄田・
橋場町・
槙原町・
春日三丁目・
東原町・
原町
鯖石川の下流南西岸に位置し、西は春日村、東は下原村に至る。天正八年(一五八〇)八月日の上杉景勝制札(真貝文書)によると、「槙村」を料所とし、地下人を還住させて印判のない者の伝馬宿送りを取締らせている。この「槙村」は当地の槙原と思われる。同一〇年五月二六日の上杉景勝過所(蓼沼文書)に木場(現西蒲原郡黒埼町)からの飛脚の通過地点に「はしは」の地名がみえる。
橋場村
はしばむら
出羽国境駒ヶ岳の南東に位置し、竜川に沿い秋田街道が通る。秋田藩領とは国見峠で境するため、村内に境番所が置かれた。東は上野村、南は御明神村。正保国絵図に村名がみえ、無所務と記される。寛文一一年(一六七一)の繋村肝入館市家留書(瀬川文書)では高一一石余。元禄十郡郷帳では上野村に入るとある。宝暦一一年(一七六一)の雫石通高改書上帳(高橋文書)では高二三石余、うち一一石は「御境目ニ付諸御役・郷役共ニ御免、御礼金・橋料は上納、右之外相務不申候」とある。「邦内郷村志」では蔵分一一石余・給分一一石余。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では家数二四で、「枝村無之候」とある。「管轄地誌」では田一六町一反余・畑一四町二反余、宅地・切替畑・荒地計三六町四反余、家数二七・人数一四二、馬一九。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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