橋本陣屋跡(読み)はしもとじんやあと

日本歴史地名大系 「橋本陣屋跡」の解説

橋本陣屋跡
はしもとじんやあと

[現在地名]八幡市橋本〈堂ヶ原・焼野〉

幕末に設置された陣屋跡。焼野やけのどうはらにあって五千坪の地を占めていた。安政五年(一八五八)の焼野陣屋地諸事記(山田家蔵)に添付された絵図には、武器庫・倉庫・厩・長屋等が描かれる。この陣屋に警固役として最初に就任したのは松平出羽守であるが、この人物は、幕末に若年寄を務めた松平豊前守正質の父と思われる。当陣屋設置の目的は不明であるが、当地が京・大坂を結ぶ要衝の地であったためであろう。

前述の諸事記は一〇月一九日より記されているが、陣屋設置が突如決定されたため、橋本町の八幡宮社士たちがあわてた様子がうかがえる。社士があわてた理由は、朱印地でありながら、内実は売買が自由な自己保有地を苗字帯刀を許された社士たちだけでなく、農工商人が保持していたことであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む