橋津台場跡(読み)はしづだいばあと

日本歴史地名大系 「橋津台場跡」の解説

橋津台場跡
はしづだいばあと

[現在地名]羽合町長瀬

橋津川西側の海岸部に位置する。日本海の波により前方部が崩れ、一部は松林となっている。鳥取藩が海岸防備のため築造した砲台場の一つで、国指定史跡。文久三年(一八六三)天野伊豆一手の吉村又兵衛・同人組松尾猪之助を責任者として、鉄造一八斤・六斤・三斤の台場砲各一門、五寸径の台場砲一門が据えつけられた。規模は横一三八メートル・縦五〇メートルで、土砂は人夫により運搬された。台場南側の瀬先はその土砂を砲台の盛土の基礎に使うとともに、池として後方を守るために掘られたという(「鳥取県史」など)。当台場の備えについて、中原家史稿本(中原家蔵)によれば頭取一人・取締役一〇人で、苗字帯刀・陣笠野袴が許されていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「橋津台場跡」の解説

はしづだいばあと【橋津台場跡】


鳥取藩台場跡(とっとりはんだいばあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報