朝日日本歴史人物事典 「橘為仲」の解説
橘為仲
生年:生年不詳
平安時代の歌人。筑前守橘義通の子。淡路守などを経て皇后宮大進となり,後冷泉天皇の皇后である四条宮寛子の歌壇と交流を持ち,『四条宮下野集』にも登場。また藤原範永など受領層歌人のグループである和歌六人党にも加わり,能因,相模にも指導されて歌人として活躍した。晩年に陸奥守として赴任の際,能因の歌に敬意を表し衣装を改めて白河の関を通り,上京の折には宮城野の萩を長櫃12合に入れて運んだと伝えられるなど,風雅に執した人物として知られた。『後拾遺集』以下に6首入集。<参考文献>犬養廉「橘為仲とその集」(『国語と国文学』1957年12月号)
(山本登朗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報