神宗(読み)しんそう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

神宗
しんそう
(1048―1085)

中国、北宋(ほくそう)第6代の皇帝(在位1067~85)。姓名は趙頊(ちょうぎょく)。廟(びょう)号で神宗という。彼が即位したとき、宋は開国100年にさしかかり、文治主義の政権が固まり、宋学がおこり、名臣が輩出し、2万の官僚、150万の常備軍、500万貫に近い鋳銭を誇る上昇のピークにあった。同時に内実では、宋初以来の現実主義政策の結果として、過大な軍事、行政負担、行政の複雑化、富の不均等な分配、巨商との癒着、軟弱外交、軍事劣勢、4代仁宗(じんそう)、5代英宗(えいそう)にみられる指導力の欠如が痛感されていた。神宗は即位とともに王安石を起用して新法(しんぽう)を急進的に進め、財政の再建、流通機構の整備、行政の効率化、軍隊の整備、学校や官吏養成の見直し、土地開発などを一挙に断行し、西北辺の拓境でもいちおうは成功した。改革は長期にみれば積弊をよく洞察していたが、すでに確立した官僚制のなかでこの変革は権力闘争の口火となり、本質をゆがめられ、失意のうちに神宗は38歳で没した。

[斯波義信]

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精選版 日本国語大辞典の解説

しん‐そう【神宗】

[一] 中国、北宋第六代の皇帝(在位一〇六七‐八五)。英宗の長子。姓名は趙頊。衰微した国力の回復のため、富国強兵策として、王安石の青苗・均輸・免役・保馬などの新法を採用し、制度・教育・科挙などの改革を行なった。しかし、この新法は、時世に合わない点も多く、以後、新法と旧法をめぐっての政争が繰り返される因となった。(一〇四八‐八五
[二] 中国、明第一四代の皇帝(在位一五七二‐一六二〇)。張居正の補佐により国政の改革を行ない、国力が充実したが、居正の死後、豊臣秀吉の朝鮮への出兵を鎮圧するなどの万暦の三大征などにより国力が衰えたため、苛酷な徴税を行ない民心を失った。万暦帝。(一五六三‐一六二〇

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百科事典マイペディアの解説

神宗【しんそう】

中国,北朝第6代皇帝(在位1067年―1085年)。王安石を登用,新法を行わせて内政の充実を図る。外に対しては西夏,安南(ベトナム)に積極策をとったが,いずれも失敗した。

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世界大百科事典 第2版の解説

しんそう【神宗 Shén zōng】

1048‐85
中国,北宋第6代皇帝。姓名は趙頊(ちようせん)。在位1067‐85年。英宗の長子で母はのちの宣仁太后高氏。気鋭の19歳で即位した当時,国初以来100年の諸問題が累積し,直接には西夏戦の軍事費増大や冗官冗費による財政窮乏で社会不安も深刻になっていた。韓琦(かんき),文彦博ら既存の政治家たちに失望した神宗は,皇太子時代の師韓維の強い推薦で,中央官界の色に染まらず,清潔有能の誉れ高かった王安石宰相に抜擢し,彼の理想にもとづく革新政治を採用した。

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