神宗(読み)シンソウ(その他表記)Shén zōng

デジタル大辞泉 「神宗」の意味・読み・例文・類語

しん‐そう【神宗】

[1048~1085]中国北宋の第6代皇帝在位1067~1085。姓名趙頊ちょうきょく財政再建のため王安石登用して、青苗保甲保馬などの新法を実施した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「神宗」の意味・読み・例文・類語

しん‐そう【神宗】

  1. [ 一 ] 中国、北宋第六代の皇帝(在位一〇六七‐八五)。英宗長子。姓名は趙頊。衰微した国力の回復のため、富国強兵策として、王安石の青苗・均輸・免役・保馬などの新法を採用し、制度・教育・科挙などの改革を行なった。しかし、この新法は、時世に合わない点も多く、以後、新法と旧法をめぐっての政争が繰り返される因となった。(一〇四八‐八五
  2. [ 二 ] 中国、明第一四代の皇帝(在位一五七二‐一六二〇)。張居正の補佐により国政の改革を行ない、国力が充実したが、居正の死後、豊臣秀吉の朝鮮への出兵を鎮圧するなどの万暦の三大征などにより国力が衰えたため、苛酷な徴税を行ない民心を失った。万暦帝。(一五六三‐一六二〇

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「神宗」の意味・わかりやすい解説

神宗 (しんそう)
Shén zōng
生没年:1048-85

中国,北宋第6代皇帝。姓名は趙頊(ちようせん)。在位1067-85年。英宗の長子で母はのちの宣仁太后高氏。気鋭の19歳で即位した当時,国初以来100年の諸問題が累積し,直接には西夏戦の軍事費の増大や冗官冗費による財政窮乏で社会不安も深刻になっていた。韓琦かんき),文彦博ら既存の政治家たちに失望した神宗は,皇太子時代の師韓維の強い推薦で,中央官界の色に染まらず,清潔有能の誉れ高かった王安石宰相に抜擢し,彼の理想にもとづく革新政治を採用した。1069年(煕寧2)の青苗法以後,免役,市易,保甲をはじめとした新法の実施で財政危機は回避された。しかし,王安石との君臣水魚の交りにも,神宗自身の皇帝の功名心がからんで亀裂が生じ,76年王安石が下野,煕寧の年号を元豊と改め(1078)親政時代に入る。政策の基本は新法においたが,黄河上流の青唐族や南方の交趾征伐を行い国威発揚につとめたが失敗。遼,西夏との紛争も加わり,失意のうちに没す。官制改革もその時代の注意すべき問題である。
執筆者:


神宗 (しんそう)
Shén zōng

万暦帝(ばんれきてい)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「神宗」の意味・わかりやすい解説

神宗
しんそう
(1048―1085)

中国、北宋(ほくそう)第6代の皇帝(在位1067~85)。姓名は趙頊(ちょうぎょく)。廟(びょう)号で神宗という。彼が即位したとき、宋は開国100年にさしかかり、文治主義の政権が固まり、宋学がおこり、名臣が輩出し、2万の官僚、150万の常備軍、500万貫に近い鋳銭を誇る上昇のピークにあった。同時に内実では、宋初以来の現実主義政策の結果として、過大な軍事、行政負担、行政の複雑化、富の不均等な分配、巨商との癒着軟弱外交、軍事劣勢、4代仁宗(じんそう)、5代英宗(えいそう)にみられる指導力の欠如が痛感されていた。神宗は即位とともに王安石を起用して新法(しんぽう)を急進的に進め、財政の再建、流通機構の整備、行政の効率化、軍隊の整備、学校や官吏養成の見直し、土地開発などを一挙に断行し、西北辺の拓境でもいちおうは成功した。改革は長期にみれば積弊をよく洞察していたが、すでに確立した官僚制のなかでこの変革は権力闘争の口火となり、本質をゆがめられ、失意のうちに神宗は38歳で没した。

[斯波義信]


神宗(明)
しんそう

万暦帝

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神宗」の意味・わかりやすい解説

神宗[宋]
しんそう[そう]
Shen-zong; Shên-tsung

[生]慶暦8(1048).4.10. 開封
[没]元豊8(1085).3.5. 開封
中国,北宋の第6代皇帝 (在位 1067~85) 。姓名は趙ぎょく。諡は紹天子。英宗の長子,母は宣仁太后高氏。仁宗時代の西夏との争いによる財政の赤字,綱紀の弛緩など,中だるみの時代に即位し,国家財政や国政の建直しのため,王安石を登用して新法 (→新法党 ) を実施した。しかし新法実施上の不備や外征の失敗で,必ずしも成功を収めなかった。

神宗[明]
しんそう[みん]

万暦帝」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「神宗」の意味・わかりやすい解説

神宗【しんそう】

中国,北宋朝第6代皇帝(在位1067年―1085年)。王安石を登用,新法を行わせて内政の充実を図る。外に対しては西夏,安南(ベトナム)に積極策をとったが,いずれも失敗した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「神宗」の解説

神宗 (北宋)
しんそう

1048〜85
北宋第6代皇帝(在位1067〜85)
国力の挽回 (ばんかい) を期し,王安石を登用して新法を断行し,財政再建,内政の改革,強兵策などを実施した。しかし,旧法党の反対にあい,また安南や西夏 (せいか) を威圧しようとしたが失敗した。

神宗(明)
しんそう

万暦 (ばんれき) 帝

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「神宗」の解説

神宗(宋) (しんそう)

生年月日:1048年4月10日
中国,北宋の第6代皇帝(在位1067〜85)
1085年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の神宗の言及

【礦税の禍】より

…中国,明末の増税問題。神宗のとき〈万暦の三大征〉とよばれる辺境の軍事行動により,国庫は窮乏し宮廷費も極度に圧迫された。そこで帝は1596年(万暦24),宦官を鉱監・税監に任命し,全国各地に派遣して鉱山の開発と商税の増徴を行わせた。…

【万暦帝】より

…在位1572‐1620年。姓名は朱翊鈞(しゆよくきん),諡(おくりな)は顕皇帝,廟号は神宗,年号は万暦。10歳で即位したため,政務はもっぱら内閣の首席大学士であり,帝の学問上の師でもあった張居正に委ねられた。…

※「神宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android