義天(読み)ギテン(その他表記)Ui-ch`ŏn

デジタル大辞泉 「義天」の意味・読み・例文・類語

ぎてん【義天】

[1055~1101]高麗こうらいの僧。文宗の第4子。1085年に宋に渡り、華厳けごん天台・律・禅を学び、帰国後、天台の布教に努めた。「新編諸宗教蔵総録」(義天録)などを刊行大覚国師

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精選版 日本国語大辞典 「義天」の意味・読み・例文・類語

ぎてん【義天】

  1. 室町前期の臨済宗の僧。龍安寺第二世住持。号は玄詔(玄承)。土佐の人。尾張瑞泉寺の日峰宗舜師事。丹波龍興寺、大徳寺の住持となり、のち龍安寺に住む。王法師。明徳四~寛正三年(一三九三‐一四六二

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改訂新版 世界大百科事典 「義天」の意味・わかりやすい解説

義天 (ぎてん)
Ui-ch`ŏn
生没年:1055-1101

朝鮮高麗の僧。朝鮮天台宗開祖俗姓は王。諱(いみな)は煦。義天は字。諡(おくりな)は大覚国師。高麗文宗王の第4子。11歳で僧となり,華厳教理を学びながら,しだいに天台教理に関心を示すに至り,1085年宋に渡って,おもに天台と華厳を学んだ。同時に仏教書の収集に努め,多数の書籍を持ち帰り,さらに,帰国後住持となった開城近郊の興王寺に教蔵都監を設置し,宋,遼,日本,国内から広く仏教書を集め,《続蔵経》4000余巻として刊行した。一時海印寺に隠退したが,晩年再び興王寺に住し,兼任の新設国清寺を中心に天台宗を開立した。《大覚国師文集》《海東有本見行録》ほかの著作があり,いずれも一部分のみ現存する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「義天」の意味・わかりやすい解説

義天
ぎてん
(1055―1101)

高麗(こうらい)(朝鮮)の僧。諡(おくりな)は大覚(だいがく)国師。文宗(在位1046~1083)の第4子に生まれ、霊通寺(れいつうじ)で出家し、祐世僧統(ゆうせいそうとう)に任ぜられた。1085年海路で入宋(にっそう)し、慧因寺(えいんじ)の浄源(じょうげん)(1011―1088)のもとで華厳(けごん)教学を学び、また、慈弁従諫(じべんじゅうかん)に従って天台教学を、霊芝元照(れいしがんじょう)(1048―1116)から戒法を、金山了元(きんざんりょうげん)(1032―1098)、慧林円照(えりんえんしょう)らに禅を学んだ。3年後、仏典約1000巻を携えて帰国し、興王寺に教蔵都監(きょうぞうとかん)を置いてそれらを刊行し、高麗時代の仏教の発展に大きく貢献した。著書に『新編諸宗教蔵総録』(義天録)2巻、『円宗文類(えんしゅうもんるい)』22巻(2巻現存)などがあり、朝鮮仏教の貴重な資料となっている。

[木村清孝 2017年1月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「義天」の意味・わかりやすい解説

義天
ぎてん
Ǔich'ǒn

[生]文宗9(1055).9.
[没]粛宗6(1101).10.5.
朝鮮における天台宗の開祖。諡は大覚禅師。高麗文宗の第4王子。 11歳で僧侶となり,仏教のほか道教,儒学も学んだ。宣宗2 (1085) 年に入宋,天台宗を学び,1000巻余の経典,儒書を持帰った。のち新羅以来の仏教書を収集刊行し,宋,遼,日本の仏書をも収集。粛宗の即位後天台宗が公認され,国政にも参加。著作に『円宗文類』『釈苑詞林』『大覚国師文集』『海東有本見行録 (義天録) 』がある。

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世界大百科事典(旧版)内の義天の言及

【仏教】より

…寺院は広大な寺田をもち,多数の僧侶をかかえていたが,高麗末期には辛旽(しんとん)のように国政を壟断(ろうだん)する僧も現れた。高麗仏教で最も有名なのは文宗の第4子である義天(大覚国師)である。入宋した義天は天台学を高麗に伝え,《新編諸宗教蔵総録》という経典目録を作った。…

※「義天」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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