コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

義天 ぎてんǓich'ǒn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

義天
ぎてん
Ǔich'ǒn

[生]文宗9(1055).9.
[没]粛宗6(1101).10.5.
朝鮮における天台宗の開祖。諡は大覚禅師。高麗文宗の第4王子。 11歳で僧侶となり,仏教のほか道教,儒学も学んだ。宣宗2 (1085) 年に入宋天台宗を学び,1000巻余の経典,儒書を持帰った。のち新羅以来の仏教書を収集刊行し,宋,遼,日本の仏書をも収集。粛宗の即位後天台宗が公認され,国政にも参加。著作に『円宗文類』『釈苑詞林』『大覚国師文集』『海東有本見行録 (義天録) 』がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

ぎてん【義天】

[1055~1101]高麗(こうらい)の僧。文宗の第4子。1085年に宋に渡り、華厳(けごん)・天台・律・禅を学び、帰国後、天台の布教に努めた。「新編諸宗教蔵総録」(義天録)などを刊行。大覚国師

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

ぎてん【義天 Ui‐ch‘ŏn】

1055‐1101
朝鮮,高麗の僧。朝鮮天台宗の開祖。俗姓は王。諱(いみな)は煦。義天は字。諡(おくりな)は大覚国師。高麗文宗王の第4子。11歳で僧となり,華厳教理を学びながら,しだいに天台教理に関心を示すに至り,1085年宋に渡って,おもに天台と華厳を学んだ。同時に仏教書の収集に努め,多数の書籍を持ち帰り,さらに,帰国後住持となった開城近郊の興王寺に教蔵都監を設置し,宋,遼,日本,国内から広く仏教書を集め,《続蔵経》4000余巻として刊行した。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ぎてん【義天】

1055~1101) 朝鮮、高麗の僧。文宗王の子。1085年宋に渡って華厳・天台・律などをまなび、帰国後、内外の仏教書を集めて「高麗続蔵経」四千余巻の刊行を進めた。また、「教蔵総録(義天録)」を編纂。大覚国師。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

義天
ぎてん
(1055―1101)

高麗(こうらい)(朝鮮)の僧。諡(おくりな)は大覚(だいがく)国師。文宗(在位1046~1083)の第4子に生まれ、霊通寺(れいつうじ)で出家し、祐世僧統(ゆうせいそうとう)に任ぜられた。1085年海路で入宋(にっそう)し、慧因寺(えいんじ)の浄源(じょうげん)(1011―1088)のもとで華厳(けごん)教学を学び、また、慈弁従諫(じべんじゅうかん)に従って天台教学を、霊芝元照(れいしがんじょう)(1048―1116)から戒法を、金山了元(きんざんりょうげん)(1032―1098)、慧林円照(えりんえんしょう)らに禅を学んだ。3年後、仏典約1000巻を携えて帰国し、興王寺に教蔵都監(きょうぞうとかん)を置いてそれらを刊行し、高麗時代の仏教の発展に大きく貢献した。著書に『新編諸宗教蔵総録』(義天録)2巻、『円宗文類(えんしゅうもんるい)』22巻(2巻現存)などがあり、朝鮮仏教の貴重な資料となっている。[木村清孝]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の義天の言及

【仏教】より

…寺院は広大な寺田をもち,多数の僧侶をかかえていたが,高麗末期には辛旽(しんとん)のように国政を壟断(ろうだん)する僧も現れた。高麗仏教で最も有名なのは文宗の第4子である義天(大覚国師)である。入宋した義天は天台学を高麗に伝え,《新編諸宗教蔵総録》という経典目録を作った。…

※「義天」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

義天の関連キーワード日本民主革命論争天皇制ファシズム日本資本主義論争高麗板大蔵経月堂円心景川宗隆鏡堂覚円特芳禅傑朝鮮哲学細川勝元服部之総下田義照雪江宗深龍安寺天皇制海印寺竜安寺松広寺玄詔

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android