コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

哲宗 てつそうZhé zōng

世界大百科事典 第2版の解説

てつそう【哲宗 Zhé zōng】

1076‐1100
中国,北宋第7代皇帝,趙喣(ちようく)。在位1085‐1100年。神宗の第6子。10歳で帝位についたが,祖母の宣仁太后高氏が摂政として君臨した。元祐の年号の8年間は,司馬光蘇轍(そてつ),呂大防らを中心に反新法の保守政治が行われた。1093年(元祐8),高氏が死ぬと親政し,紹聖と年号を改め,章惇(しようとん)らを登用して,新法の政治を行った。神宗実録の書き改め,旧法党の大弾圧などにより,党争を激化させた。

てつそう【哲宗 Ch‘ŏl‐jong】

1831‐63
朝鮮,李朝第25代の王。在位1849‐63年。兄の獄事に連座して江華島に流されていたが,前王の憲宗(在位1834‐49)に後継ぎがなく,突然ソウルによび戻されて19歳で即位した。国王としての正規の教育を受けず,姻戚の安東金氏のなすがままであった。王の治世中には税制の乱れがはなはだしく,水災疫病がはやり,1862年には壬戌(じんじゆつ)民乱とよばれる全国的な民衆反乱が起きた。また,周辺の国々では日本の開港(1854)や英仏連合軍による北京占領事件(1860)があり,朝鮮沿岸にも英仏の艦船が出没して朝野に不安を与えた。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

哲宗
てつそう
(1076―1100)

中国、北宋(ほくそう)第7代皇帝(在位1085~1100)。第6代皇帝神宗の子。姓名は趙(ちょうく)。10歳で即位したが、9年間は高太皇太后の摂政(せっしょう)を受けた。この時期は神宗時代の反動を受け、旧法党が新法党にかわって政権を担当した。いわゆる元祐(げんゆう)の更化である。高太皇太后が没すると新法党を採用し、神宗の治世に倣おうとし、年号も新たにした。しかし、新・旧両法党の激しい抗争が起こり、しかも旧法党弾圧に主眼が置かれた政治抗争であったため、国力の衰退を招いた時期でもあった。[伊原 弘]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

哲宗の関連キーワード続資治通鑑長編朝鮮王朝実録エクスタシー大東輿地図哲宗[宋]元豊九域志営造法式歌曲源流同文彙考勢道政治李朝実録国朝宝鑑宋秉畯安駉寿閔宗植李完用侍天教洪英植文彦博新法党

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

哲宗の関連情報