日本大百科全書(ニッポニカ) 「檀君神話」の意味・わかりやすい解説
檀君神話
だんくんしんわ
古朝鮮の建国神話。天孫の檀君が古朝鮮を開き、その始祖になったというもの。『三国遺事(さんごくいじ)』(紀異巻1)によると、天帝桓因(かんいん)の子桓雄(かんゆう)は、天符印(てんぷいん)3個を父より授けられ、徒3000を率いて太伯(たいはく)山頂の神檀樹(しんだんじゅ)という神木の下に降臨した。そして洞穴にいた虎(とら)と熊(くま)が人間に化すことを祈っていたので、蓬(よもぎ)と蒜(にんにく)を食べて忌籠(いみごも)るよう告げると、熊だけが女となり(熊女(ゆうじょ))、桓雄と婚して檀君を生んだ。檀君は平城に都を開き、1500年の間国を統治したという。この神話の前半の部分は、日本の天孫降臨神話に対応するものである。また、この神話のおもな登場人物である桓雄、虎、熊はそれぞれ主権、軍事、豊穣(ほうじょう)の機能を代表するもので、東アジアにおけるインド・ヨーロッパ諸族神話的な社会的三機能体系の一例である。他方、檀君神話でことに興味深いのは熊と虎の問題であり、熊女の忌籠りは巫女(みこ)の成巫(せいふ)過程に比例するものである。さらにこの神話は、北方ユーラシアの熊信仰と深い関係があり、ツングース系諸族、ことにアムールランドのツングース人の間に普遍的に分布している熊祖神話や、熊や虎と人間の女との交婚譚(たん)ときわめて深い親縁関係を示し、その一異伝と考えられる。したがって、これは朝鮮文化とツングース文化との密接な関係を物語っている。また歴史的にみると、支配者層に支持された箕子(きし)神話に対し、檀君神話は13世紀以降モンゴルなどの侵入に対する民衆の義兵闘争を契機として広まった、朝鮮の被支配階級の民族主義的神話である。
なお、韓国では独立後の1948年から61年まで、檀君紀元(西暦の紀元前2333年を元年とする)を使用していた。
[依田千百子]