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義兵闘争 ぎへいとうそう Ǔibyǒng t'ujaeng

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

義兵闘争
ぎへいとうそう
Ǔibyǒng t'ujaeng

朝鮮で行われた侵略者に対する民衆の抵抗運動。武装の場合が多い。朝鮮では古来,侵略者に対する民衆 (各層にわたる) の抵抗運動が激しく展開された。 13世紀のモンゴル軍の侵入,あるいは 16世紀の豊臣秀吉による壬辰・丁酉の倭乱 (→文禄・慶長の役 ) に際しても全道で広般な民衆の抵抗が行われたが,朝鮮史上本格的な義兵闘争は 1910年の「日韓併合」前後から始った反日闘争で,「義兵運動」と呼ばれる

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世界大百科事典 第2版の解説

ぎへいとうそう【義兵闘争】

朝鮮,李朝末期の反日武装闘争。1896年の初期義兵と1905‐14年の後期義兵とからなる。李朝時代にはこのほかにも壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)時の義兵など多くの例がある。前近代以来の義兵の理念は,在野の臣は王朝・君主を外敵の侵略,内乱の危機から救うために自発的に挙兵できるし,すべきであるという名分論であった。初期義兵は日清戦争以後の日本の露骨な内政干渉,対日従属的な甲午改革の実施によって高まった反日気運を背景とし,直接には閔妃(びんひ)虐殺事件(1895年10月),断髪令の強行(同12月)を契機として起きた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

義兵闘争
ぎへいとうそう

朝鮮、李朝(りちょう)末期の反日武装闘争(1896、1905~1914)。「義兵」とは、王朝、国王の危機に際して、在野の臣といえども自発的に挙兵して賊と戦う義があるとする名分論に基づいた呼称である。日清(にっしん)戦争を機として日本の朝鮮侵略が強化され、かつ親日の開化派政権下で甲午(こうご)の改革が実施されると、衛正斥邪(えいせいせきじゃ)派(攘夷(じょうい)派)の在地両班(ヤンバン)は反発を強め、1895年末の閔妃(びんひ)虐殺事件(乙未(いつみ)事変)、断髪令を機に、翌96年1月、地方兵、農民を組織して挙兵した。義兵は急速に全国へ拡大し、親日派地方官や日本商人らを殺し、日本軍守備隊、政府軍との戦いを10月ごろまで続けた。その行動は開化派政権の倒壊と日本勢力の一時的後退をもたらした。日露戦争により日本の軍事支配が進むと、1905年春から義兵は国権回復のために再起し、崔益鉉(さいえきげん)、閔宗植(びんそうしょく)らの旧大官も挙兵した。1907年に朝鮮軍が解散されるや兵士が義兵に加わり、その戦闘力は強化され、戦いは全国的、長期的なものとなり、日本の植民地化政策に打撃を与えた。しかし日本軍の増強、憲兵警察網の稠密(ちゅうみつ)化によって圧迫され、韓国併合後の14年にはその戦いは終息した。[糟谷憲一]

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世界大百科事典内の義兵闘争の言及

【朝鮮】より

…豊臣秀吉の侵略時には,これに対抗するため100城以上の山城が築城され,義兵の根拠地にもなった。近代の抗日義兵闘争や現代の朝鮮戦争でも,これらの山城が使用されていることは,注目すべきであろう。山城(さんじょう)
[言語と文字]
 原始時代の朝鮮には多くの系統を異にする種族と言語があったが,《魏志》東夷伝によれば,3世紀の朝鮮には濊(わい),貊(はく),韓,倭の4民族がおり,その後しだいに南部の韓族が勢力を得,新羅の統一によって朝鮮民族の形成基盤ができた。…

【マッケンジー】より

…06年再び朝鮮,中国,日本を訪れ,《ベールを脱いだ東洋》(1907)を著した。07年三たび朝鮮を訪れ義兵闘争の取材旅行を行い,日本の対朝鮮軍事支配を告発した《朝鮮の悲劇》(1908)を刊行した。三・一独立運動が起きると翌20年《朝鮮の自由のための闘い》を刊行して,日本の武断統治の実態と独立運動の姿とを伝えた。…

【李朝】より

…その後,親露的政権が樹立され,97年には大韓帝国を名のり,国王は皇帝を称するようになったが,1905年,日露戦争に勝利した日本によって保護条約の締結を強要され,10年にはついに日本の完全植民地とされ,李氏朝鮮王朝権力も消滅した(韓国併合)。 この間,儒学者,両班たちは衛正斥邪の立場から,日本との開国,日本と結んだ近代化や日本の侵略に反対を続け,1896年と1905年には反日義兵闘争を起こした。反日義兵闘争は1907年以降,しだいに大衆化し全国的に拡大したが,思想的には衛正斥邪の影響が強く,近代的改革をめざす都市の運動と結びつくことができなかった。…

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