日本歴史地名大系 「檜隈坂合陵」の解説 檜隈坂合陵ひのくまさかあいりよう 奈良県:高市郡明日香村平田村檜隈坂合陵[現在地名]明日香村大字下平田檜前(ひのくま)盆地の北、高取川右岸の丘陵西端部、南斜面に築かれた前方後円墳である。古墳は所在の小字ムメヤマから梅(うめ)山とも、墳丘の表面にある砂礫から石(いし)山とも、また陵畔の小字池田(いけだ)から掘出した猿石にちなんで猿(さる)山とも俗称されたが、江戸時代より一貫して欽明天皇陵にあてられ今日に至る。墳丘の全長一三八メートル、後円部径七三メートル、西面する前方部の幅は一〇七メートル。墳丘を取巻く馬蹄形の周濠の北・東・南の三方には丘陵が迫るが、古墳の北側の丘陵の南斜面を東西に長く掘割って周濠としたため、北側の濠幅は極端に狭くなっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by