欠郡(読み)かけぐん

日本歴史地名大系 「欠郡」の解説

欠郡
かけぐん

一五世紀から一八世紀初めにかけての諸史料にみえ、地域的には古代の南摂四郡(東生・西成・百済・住吉)を総称するばあいもあるが、主として近世以降の東成ひがしなり住吉二郡内の地域をさすことが多い。史料には闕・欠の両様の文字が用いられているが、片仮名で「カケ」と記した例もあるので(「大乗院寺社雑事記」文明一五年八月二八日条ほか)、「かけ」とよんだことは間違いない。

「経覚私要鈔」長禄四年(一四六〇)閏九月七日条に「河州辺事以外也、畠山(義就)振威勢云々、堺北庄者細川知行、誉田遠州ヲ居置、南庄者相国寺領也、是ニハ甲斐庄ヲ入置、摂州かけの郡可為知行之由下知了、泉国可相押之由支度云々」とみえ、同書文明三年(一四七一)六月二一日条に「大内勢打入河州闕郡間、河内・泉両国以外騒動云々、又及合戦云々」とある。次いで「長興宿禰記」同九年九月二八日条に「発向摂津国欠郡、於木村合戦、責天王寺陣云々」とあり、同一四年二月二一日付の守護細川政元奉行人奉書(多田神社文書)に「摂州欠郡善源寺村」とみえる。さらに「大乗院寺社雑事記」同年七月一六日条、同一五年八月二八日条にも所見。二八日条には「千町之鼻より五十丁西ヲ二丁大場切之間、大水入河内国難義也、カケノ郡同迷惑云々」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む