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増田長盛 ました ながもり

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美術人名辞典の解説

増田長盛

安土・桃山時代の武将。豊臣家五奉行の一人。尾張生。通称は仁右衛門尉。秀吉の下で検地や朝鮮役で功をあげた。慶長20年(1615)歿、71才。

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デジタル大辞泉の解説

ました‐ながもり【増田長盛】

[1545~1615]安土桃山時代の武将。尾張の人。豊臣秀吉に仕え、五奉行の一人。大和郡山城主。関ヶ原の戦いには西軍に属したが参戦せず、戦後高野山に追放。のち、武蔵岩槻に流され、豊臣家滅亡後自刃した。

ますだ‐ながもり【増田長盛】

ましたながもり

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百科事典マイペディアの解説

増田長盛【ましたながもり】

安土桃山時代の武将。豊臣氏五奉行の一人。小牧・長久手の戦で戦功を認められ,小田原征伐文禄・慶長の役にも従軍。長束(なつか)正家らとともに諸国検地を担当,大和郡山20万石を領した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

増田長盛 ました-ながもり

1545-1615 織豊-江戸時代前期の武将。
天文(てんぶん)14年生まれ。豊臣氏五奉行のひとり。小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦いなどでの功により,文禄(ぶんろく)4年大和(奈良県)郡山(こおりやま)に20万石を領した。関ケ原の戦いでは西軍につき,高野山に追放される。大坂夏の陣のとき子盛次(もりつぐ)の大坂入城をとがめられ,慶長20年5月27日自害させられた。71歳。通称は仁右衛門

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朝日日本歴史人物事典の解説

増田長盛

没年:元和1.5.27(1615.6.23)
生年:天文14(1545)
安土桃山・江戸前期の武将。通称仁右衛門。生地については,尾張国中島郡増田村説と近江国浅井郡益田郷説がある。秀吉に仕え,はじめ200石,天正12(1584)年の小牧・長久手の戦の戦功で2万石に加増され,翌年従五位下・右衛門尉に叙任された。軍事より,石田三成らと同じく内政に堪能で,検地奉行などを務めている。文禄の役では朝鮮に渡り,行政および軍務を掌握し,文禄4(1595)年,豊臣(羽柴)秀保の死後,その居城であった大和郡山城を与えられ,20万石を領した。このとき,従四位下・侍従に叙任されたという。慶長3(1598)年,石田三成らと共に五奉行となり,秀吉没後の秀頼補佐の中心的役割を担う。同5年の関ケ原の戦には西軍に属し,兵3000で大坂城の留守居を務め,また,関ケ原に家臣の高田小左衛門に兵をつけて送っているが,その一方で東軍徳川家康に大坂城内の様子を伝えるなど東西双方に味方をする形をとっていた。事実,高田小左衛門は関ケ原では実戦に加わっていない。戦後,長盛は家康に使者を送って降を請うたが,家康は許さず,所領没収の上,高野山に追放した。のち武蔵岩槻城主,高力清長に預けられたが,元和1(1615)年の大坂夏の陣のとき,子盛次が大坂方にあったことがわかり,自刃させられている。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ましたながもり【増田長盛】

1545‐1615(天文14‐元和1)
豊臣家五奉行の一人。仁右衛門,右衛門尉と称した。出身は尾張国中島郡増田村,また近江国浅井郡益田郷ともいう。初め秀吉に仕えて禄200石,1584年(天正12)小牧・長久手の戦の戦功で2万石に加増され,翌年従五位下右衛門尉に叙任。小田原征伐文禄・慶長の役にも従軍した。91年に長束正家らと近江を検地し,94年(文禄3)伏見城の工事を分担。翌年,大和郡山城主として20万石を領した。97年(慶長2)安房を検地。

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大辞林 第三版の解説

ましたながもり【増田長盛】

1545~1615) 安土桃山時代の武将。尾張の人。仁右衛門とも称す。豊臣氏五奉行の一人。大和郡山の領主。関ヶ原の戦いでは西軍方。戦後、武蔵岩槻に流され、大坂城落城後、自刃。

ますだながもり【増田長盛】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

増田長盛
ましたながもり

[生]天文14(1545).尾張
[没]元和1(1615).5.27. 武蔵
安土桃山時代の武将。通称,仁右衛門。豊臣秀吉に仕え,特に民政に才幹があって重用され,太閤検地の実施に力を尽した。また文禄の役の功によって文禄4 (1595) 年大和郡山 20万石を領した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

増田長盛
ましたながもり
(1545―1615)

安土(あづち)桃山時代の武将。豊臣(とよとみ)氏五奉行(ぶぎょう)の一人。尾張(おわり)国増田(ました)村(愛知県稲沢市)生まれ。通称仁右衛門(にえもん)。奉行人として近江(おうみ)、安房(あわ)などの検地に力を尽くし、1590年(天正18)に京都鴨川(かもがわ)に現在の三条橋を架けた。武将としては、84年の小牧(こまき)の戦い、90年の小田原役に従い、92年(文禄1)には朝鮮半島にも出征した。95年、この行賞として、豊臣秀保(ひでやす)(秀長養子)の後を受けて大和郡山(やまとこおりやま)城に移り、20万石を与えられた。関ヶ原の戦いには、大坂城を守備。味方の情報を徳川家康に送る。戦後、領地没収、科料金1900枚、銀5000枚の処分を受けた。高野山(こうやさん)に登るが、のち武蔵(むさし)岩槻(いわつき)(埼玉県さいたま市)に追放。大坂落城後、子盛次に連座し自殺させられる。[奥野高広]

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世界大百科事典内の増田長盛の言及

【郡山城】より

…現在も石垣中に転用石材が多数見いだされる。ついで増田長盛が入城し,城下町全域を含む総構えを構築した。しかし長盛は関ヶ原の戦には西軍に属して改易され,天守も伏見城に移された。…

【五条大橋】より

…1589年(天正17),方広寺大仏殿造営に際し現在地(旧,六条坊門,現,五条通)に移転。造営奉行には増田長盛があたった。当初は大仏橋とも呼ばれたが,1653年(承応2)ころより五条橋と改められたという。…

【五奉行】より

…1598年(慶長3)7月ごろ豊臣秀吉の死を前にして設置された。前田玄以浅野長政増田(ました)長盛石田三成長束(なづか)正家の五名で構成される。豊臣氏の奉行は政権の樹立以来存在し,初期の奉行には桑原貞也,杉原家次,細井方成,石田三也(成),増田長盛,大谷吉継,伊藤秀盛など多くの人名を挙げることができる。…

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