正一教(読み)しょういっきょう(その他表記)Zheng-yi-jiao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「正一教」の意味・わかりやすい解説

正一教
しょういっきょう
Zheng-yi-jiao

道教教団の一派五斗米道 (天師道) の元代以降の公称。正乙教とも書く。元の初代皇帝,世祖フビライ・ハンは,江南を平定すると,至元 13 (1276) 年に竜虎山の第 36代張宗演を嗣漢天師に封じ,天師道を公式には正一教と称させ,江南一帯の道教を掌握させることになった。しかし,正一教の内部や一般民間には,相変らず天師 (道) の呼称は残った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「正一教」の解説

正一教
せいいつきょう

道教の二大宗派の1つ
後漢 (ごかん) の張道陵を祖とし,江西省竜虎山を本山とする天師道の後身。天師と称する張の子孫教主とする民衆道教として発展。金代に全真教がおこるまでは唯一の宗派であった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「正一教」の解説

正一教(せいいつきょう)

道教(どうきょう)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「正一教」の意味・わかりやすい解説

正一教(しょういつきょう)
しょういつきょう

五斗米道


正一教(せいいつきょう)
せいいつきょう

五斗米道

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世界大百科事典(旧版)内の正一教の言及

【張陵】より

…張魯の政権が215年(建安20)に崩壊したのち,その教団は幾多の変容を経ながらも持続し,やがて張陵の後裔といわれる人物を代々〈天師〉に立てて,教団の中心とする伝統が定着した。これが道教の中で天師道または正一(しよういつ)教とよばれる教団で,元代のころから江西省竜虎山に本拠を置いて江南道教の中心となり,第2次世界大戦後は第63代の天師,張恩溥(ちようおんふ)が台湾に亡命して伝統を伝えた。【川勝 義雄】。…

【張魯】より

…中国,五斗米道(ごとべいどう)の大成者。後漢末期,益州(四川省)長官の下で部隊長になり,漢中(陝西省南部)攻略に成功してここに独立した。その政権は,祖父の張陵から父の張衡(ちようこう)を経て伝えられた五斗米道の教法を整備し,その信仰を精神的紐帯にするとともに,教団組織をそのまま行政に活用した一種の宗教王国で,30年近く独立を保ったが,215年(建安20),曹操の軍門に下り,張魯らは曹操の根拠地である鄴(ぎよう)(河北省南端)に移されて,この宗教王国は崩壊した。…

【天師道】より

…また5世紀には寇謙之によって仏教を摂取して改革が加えられ,一時,北魏の国家宗教として機能した。のち張陵の子孫は江西の竜虎山を本拠とし,第36代天師張宗演のとき,元朝の支持を得て江南に教勢を張り,新たに正一教と称した。以後その伝統が継承された。…

※「正一教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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