全真教(読み)ぜんしんきょう(英語表記)Quan-zhen-jiao

  • ぜんしんきょう ‥ケウ
  • ぜんしんきょう〔ケウ〕
  • 全真教 Quán zhēn jiào

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

12世紀前半,中国金代に華北地方で成立した道教教団の一派開祖王重陽。その教理のだいたいは,王重陽の作といわれる『立教十五論』にみえ,出家者はに入るべきこと,書物は文字面にとらわれず大意をつかむべきこと,執着心を去ること,打坐 (すなわち坐禅) を修学法の一つにすること,常に雑念をもたず,心を動かさないようにすること,本性を鍛えること,気を調和させること,三界をこえて法身の境地にいたるように努力すべきことなどが,15章に分けて説かれている。それまでの道教と違う特徴は,護符仙人になるための金丹 (→金丹道 ) よりも,真行 (仏教でいう利他) ,真功 (自利) の両面修行や,坐禅や戒律を重視している点にある。のちに新道教と呼ばれるゆえんである。また,『般若心経』を重視して,道教,仏教,儒教の三教調和論を唱えている。

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デジタル大辞泉の解説

中国、金代の王重陽が始めた道教の一派。既成道教が説く迷信的な現世利益を排除し、内面的な修錬を重視した。3代教主の丘処機長春真人)のとき、元朝の尊信を受け、華北全域に広まったが、元朝滅亡後は衰えた。

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百科事典マイペディアの解説

中国,金代に創始された道教の一派。道教の道士であった王重陽〔1113-1170〕によって開かれたとされる。彼は地下の洞穴で独座したり氷上に寝るなどの荒行を重ねて修行し,山東に赴いて布教した。7人の弟子を選んで〈七真人〉とし,5結社を組織して教団の基礎を築いたが,まもなく没した。第2代教主の馬丹陽は教義の確立と教勢の拡大を図った。のち,王重陽の弟子の一人丘処機〔1148-1227〕が,西征途上のチンギス・ハーンに招かれてモンゴルにおける道教の総取締りに任じられて免税特権を得てからは,華北のみならず江南にも勢力をのばし,江南の正一教と中国の道教界を二分する勢力となって清末まで続いた。丘処機は燕京(現,北京)に戻って長春宮で全真教の興隆に尽力し,長春真人と称される。その教義の特徴は,当時迷信的な不老長生の仙術に終始していた旧道教に対して,儒・仏・道教の調和を図ったうえで,修行を自利・利他の二つに分け,座禅を奨励するなど禅宗の色彩を色こく加えたものである。北京の白雲観本山である。

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世界大百科事典 第2版の解説

中国,道教の宗派の一つ。金蓮正宗とも呼ぶ。12世紀後半,道士王重陽によって開かれた。開宗の精神は《立教十五論》に示されており,打坐を修行法とし,性命を鍛錬し,神気を和暢(わちよう)させることの重要性を説いている。王重陽はまた,信徒に《道徳経》《清静経》《般若心経》《孝経》を読むことを勧め,儒仏道三教の一致を説いた。彼は晩年の7年間,山東地方を中心にして布教活動を行い,七宝会,金蓮会,三光会,玉華会,平等会の5会を結成し,いずれも三教の名を冠した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中国、北宋(ほくそう)末から金(きん)・元(げん)代にかけて勃興(ぼっこう)した革新的な新道教諸派のうちもっとも有力な教団。開祖は王嚞(おうてつ)、道号は重陽(ちょうよう)。王嚞は陝西(せんせい)咸陽(かんよう)県の人で、晩年近く山東地方に出て布教に努め、当地の馬従義(ばじゅうぎ)という土豪を弟子とする。これが、王嚞の没後、全真教を継いだ馬丹陽(ばたんよう)である。その後、丘処機(きゅうしょき)(長春真人(ちょうしゅんしんじん))、譚処端(たんしょたん)、王玉陽(おうぎょくよう)、郝広寧(かくこうねい)、孫不二(そんふに)、劉長生(りゅうちょうせい)など、いわゆる七真の七大弟子を収めた。とくに丘処機がモンゴル王朝の信任を得てからは華北に教勢を拡張し、新道教の筆頭として江南の正一(しょういつ)教天師道と並ぶ教団となった。全真教の教義宗風は開祖王嚞の『重陽立教十五論』に示されているが、旧道教の迷信的な呪術(じゅじゅつ)・符籙(ふろく)(御札)などを排し、内観と修養とによって悟道に達することを目的とするところは、仏教でいえば禅宗に近い。元代では一時は仏教との仏道論争に敗れたが、やがて立ち直り、明(みん)代以後は正一教と教勢を二分して、とくに華北に栄えた。北京(ペキン)の白雲観は「全真第一叢林(そうりん)」とよばれ、その大本山である。

[澤田瑞穂]

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 中国、金代に王重陽が開いた道教の一派。禅宗の影響を受け、儒・仏・道三教の調和と修行による悟りを説く。三祖の丘処機(きゅうしょき)がジンギスカンの尊信を得てから華北に発展し、江南の正一教とならんで道教の二大勢力となった。全真道。金蓮正宗。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

金代に王重陽 (おうじゆうよう) が開いた道教の一派
金朝治下の社会不安と庶民台頭を背景に,儒学・仏教,特に禅宗を取り入れて,迷信化した道教の改革をはかった。生命の探求を目的とし,戒律も厳正で,特に修行を重視。元の初期から長春真人の龍門派が有力となり,華北の道教の中心勢力になった。本山は北京の白雲観にあり,中華人民共和国の成立後は民間信仰とされた。

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世界大百科事典内の全真教の言及

【中国思想】より

…金朝支配下の華北地方は戦禍のために民衆の生活は荒廃の極にあった。この状況に応じて現れたのが,王重陽を教祖とする全真教や,太一教,真大道教などの新道教である。これらの新道教に共通する特徴は,旧道教の練丹や不老長生を説かず,庶民の生活に密接した実践道徳に中心をおいたことにある。…

【道教】より

…《雲笈七籤》の成立以後においても,もちろん道教の神学教理ないし思想哲学は,その展開をまったく停止してしまったわけではない。とくに12世紀の後半,南宋と対峙して河北に君臨した金王朝の時代には,道教における一種の宗教改革ともいうべき全真教王重陽によって創始され,王重陽の高弟(〈七真〉)の一人,丘処機(長春真人)が元の太祖チンギス・ハーンの絶大な信望を得てからは河北を中心に一大勢力を築くにいたった。王重陽の全真教は道仏儒の三教一致の立場に立ち,経典としては《道徳清静経》の《般若心経》と《孝経》を重んじ,あるいはまた道教としては《老子五千言》を,仏教としては達磨の禅教を,儒教としては子思の《中庸》を教の中心としたともいわれるが(《甘水仙源録》),布教の重点は異民族支配下の中国社会庶民層におかれ,日常的な宗教倫理の実践に力点がおかれている。…

【白雲観】より

…中国の北京市西便門外にある道教の代表的な叢林で,全真教の根本道場。唐の玄宗が勅建した天長観のうち,幽州の地に建立されたものがその前身にあたり,遼・金時代の北方における代表的な道観であった。…

※「全真教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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