日本歴史地名大系 「正明院薬師」の解説 正明院薬師しようみよういんやくし 広島県:広島市安佐北区中深川村正明院薬師[現在地名]安佐北区高陽町中深川 院内現在は三篠(みささ)川北岸の浄土真宗本願寺派明光(みようこう)寺境内にあるが、もと牛尾山正明院という真言宗の古寺であった。本尊は「芸藩通志」に「空海の作」と記す丈六の薬師如来坐像で、綾谷(あやがたに)村福王(ふくおう)寺の本尊不動明王立像の二番木で作られたと伝える。しかし形式から南北朝期あるいは室町初期の作とされ、県の重要文化財に指定されている。伝えによれば天長八年(八三一)久島家勝が大檀越となり七堂伽藍を建立、承和二年(八三五)正明院の勅号を受け、大永三年(一五二三)領主早副良隆が堂宇を修理、同年近江奥島(おくしま)(現滋賀県近江八幡市)の佐々木某が鐘楼を建立し、その鐘は大内弘世が檀那となって鋳造されたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報